東京の復興は、繁華街や街頭だけではなかった。後楽園球場のスタンドを埋め尽くした早慶戦や神保町の露店に集まる人々の表情、国民学校で学ぶ児童の真剣なまなざしや、警察官による紙芝居に見入る子供たちの笑顔からも伝わってくる。
だが一方で、戦災者や戦災孤児を収容する過酷な環境の施設や、食糧を確保するため水田に姿を変えた不忍池など、復興に向けて進む街頭や繁華街とは対極にある厳しい現実も切り取っている。
買い出し客でごった返す池袋駅や日本橋の焼け跡に広がるトウモロコシ畑の光景、食糧を確保するために野草を摘んでいる女性や市ヶ谷近くの外堀で釣りをする人々など、当時の困窮する食糧事情を教えてくれる。応急処置的な対応ばかりで長期的な展望を持てない中、それでも東京の人々は復興に向けて進もうとしていた。
「どの表情も、厳しい生活に晒されながらも、長い間苦しめられてきた戦争という抑圧からの解放感に満ち溢れています。そこには、苛烈な食糧難に対しても逞しく、そして、したたかに生き抜いていこうとする人々の姿があります。日本人が自力での復興を着実に歩み始めたことを伝えるこれらの写真は、現在の豊かになった東京に繋がる風景の始まりであり、不戦の誓いを立てた戦後日本の原風景といえるでしょう」(山辺氏)
70年以上の時を経て甦る戦後復興の始まりの光景をご覧いただきたい。
写真■『東京復興写真集1945~46』より
※週刊ポスト2016年9月30日号