今年で開館20周年を迎える『相田みつを美術館』(東京・丸の内)が熱い。老若男女、幅広い層の来訪者のなかには、書の前に立ち尽くし、徐おもむろに涙する人も少なくない。そこで、800万人が涙した理由を探ってみた。みつをは、なかなかの亭主関白だった。
基本、妻は家にいるもの。子供が帰ってきた時に「お帰り」ということが子供の情操教育には必要、といくら貧しくても妻が働きに出ることも内職をすることすらも許さなかった。だが、それは建前で、彼にとって妻はなくてはならない助手だった。それを理解していた妻はいつもみつをに寄り添い、書に挑む姿を遠くから見守っていた。
みつをは夜型の仕事人で、22時23時くらいからノッてきて、いちばん集中した状態にある夜中の2時3時あたりに、お茶で一服するのがお決まり。その時「お茶!」と叫んで、間髪入れずほどよい加減のお茶が出てこないと不機嫌になった。その頃合いを妻は承知で、熱すぎず、ぬるすぎず、ちょうどいいお茶をさっと運んでいたという。
みつをにとっての「完成」は、収入を得るための定期的な個展の締め切り。そこでいったんは作品を完成させるものの、売れたあとも納得できないからと言って、客に買い取りを頼み込むこともあった。本の出版を拒み続けたのも、「印刷されたら、書き直せない」というのが理由の1つだった。
また、“余白を含めての作品”という思いがあるので、余白への思いも強かった。書は大きな紙に自由に書き、その後ものさしや定規を使って位置調整をした。1mm単位の微妙な調整は長い時間を要し、納得がいくとようやく額装に出す。サイズ違いの作品が何作もでき、周りの人や額装する人が「1mmくらいの違いなら同じ大きさにまとめては」と提案しても、「文字だけでなく余白を含めて書だ」と決して受け付けなかった。
みつをの書は同じサイズのものが一つもない。
さりげなく書かれたように見えるどの書も、こだわり抜いた一枚なのだ。
※女性セブン2016年11月10日号