「ラブホテルいうたら、夢売ってナンボ。面白さの中に淫靡さがあるもんや」
こう話すのは、1600軒以上のラブホテルをプロデュースしてきた亜美伊新さん。
ストリップ劇場で床が回るのを見て回転ベッドを思いつき、狭い部屋を広く見せるために壁を鏡張りにした。ラブホテルの空間に非日常を演出し続けてきた。全てはセックスを盛り上げるステージ、人を喜ばせたかったと亜美伊さんは笑う。
1960から1970年代にかけて、マイカーブームの到来とともに急増したのが“モーテル”だ。
「当時は湘南帰りの若者たちの車が10台、20台と行列したものです」。
ホテルニュー京浜(神奈川・横浜市)オーナーの中嶋光さんは、当時を振り返る。初代社長で父の故・中嶋孝司さんは、日本にモーテルを広めた人物としてマスコミにもたびたび登場する有名人だった。1963年に石川県で日本初のモーテルを開業し、1967年に関東へ進出。この時代、高速道路沿いに多くのモーテルが建った。
「そもそもモーテルは、長距離ドライバーのための宿泊施設として誕生したもの。それがふたを開けてみると、カップルが車でやってきてセックスをして帰っていく。利用者側が使い方を限定していった。ラブホテルは、ニーズが生んだ日本独特の文化なのです」(神戸学院大学講師・金益見さん)
1980年代後半には、新風俗営業取締法など度重なる規制により、鏡張りや回転ベッドなどの特殊な装置は次第に数が減っていった。
その後ラブホテルは『ブティックホテル』や『ファッションホテル』と呼ばれ、女性を意識してシンプル化していく。
1981年に上梓された田中康夫著『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)は、《ラブ・ホテルにしては珍しいくらいにシンプルな作り》と六本木のラブホテルを描写し、主人公の女子大生には繁華街にあるキンキラキンのラブホテルは好きになれないと語らせている。
※女性セブン2016年11月17日号