県内で並び立つライバル都市同士ほど、意識し合うものはない。なかでも長野県の県庁所在地である長野市と県央に位置する松本市の“犬猿の仲”は有名だ。数年前に松本市内に移住したライターの北尾トロ氏はこんな体験をした。
「引っ越してから猟を始めたのですが、僕の猟の師匠は長野の人だから、長野まで行って猟をやる。そのことをうっかり松本の猟師に話したら『は? なんで?』と露骨に不機嫌になった。一方、長野の人には『東京に出るのも速いし、土地も広いし、長野のほうがいいのに』ってさんざん言われました。
この話を裏付けるように、両市民はこう話す。
「松本城をはじめ、松本には文化がある。松本市民芸術館があって、演劇が盛ん。クラフトや民芸家具などオシャレなイメージだけど、長野のほうはジジくさい」(松本市民)
「廃藩置県の時、長野を中心とする長野県が松本市中心の筑摩県を吸収合併した。歴史的に見ても長野市が上に立つのは当然。新幹線も通っているしね」(長野市民)
そもそも、この争いの発端は、明治や江戸よりも古い。前出・北尾氏が言う。
「もともと長野と松本は国が違う。川中島の戦いの時、上杉謙信が長野側で、武田信玄は松本城を根城としていた。それが同じ国になっているから、“好きで一緒になったわけじゃない”と。川中島の戦いは、400年以上経ってもまだ続いているんだね(笑い)」
イラスト■福島モンタ
※週刊ポスト2016年11月11日号