これまで日本は幾度も時代の荒波に揉まれ、歴史を刻んできた。そして、窮地を好機とし、逆境に打ち克つことで巨万の財を築いた傑物が数多くいる。苦難を打破し、幸せをつかむための手がかりは、成功をおさめ大富豪となった彼らの言葉に隠されている──。
●安藤百福(日清食品創業者)
「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い」
繊維業や製塩などの事業で成功を収めたものの、理事長を務めていた信用金庫の破綻で無一文となった安藤百福(1910~2007)。48歳だった安藤はしかし「失ったのは財産だけ」と自らを奮い立たせ、食糧難時代の経験から温めていたアイデアを実現すべく「チキンラーメン」を開発する。
「ひらめきは執念から生まれる」とも語る安藤はその後も数々の障壁を乗り越え「カップヌードル」を開発。世界のみならず宇宙でも食されるに至った。【言葉の出典/『転んでもたたでは起きるな! 定本・安藤百福』(中央公論新社刊)安藤百福発明記念館編。以下同。本文中敬称略】
●藤田 田(日本マクドナルド創業者)
「健全なる肉体に健全な精神が宿るように、笑顔の店には金が宿る」
合理性を重視したアメリカ型経営に移行する前、藤田田(1926~2004)が創業社長としてトップに君臨していたときの日本マクドナルドは、藤田が独自のスタイルで築き上げた日本の企業だった。
藤田は「信用を得る宣伝は口コミに限る」と信じ、客の体験を重視した。笑顔に着目したのも藤田。接客においていかにも常識的で平凡なことが、商売の上でどれほど大きな効果を上げるかを知っていたからこそ、スマイル戦略を推し進めたのだ。(『Den Fujitaの商法(1) 頭の悪い奴は損をする』(ワニの新書)藤田田著】
●豊田佐吉(トヨタグループ創始者)
「安易に金を貸してくれる人間は、こっちが一番カネのほしいときに、返済を迫ってくる」
トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎の父である豊田佐吉(1867~1930)は生涯をかけて発明主義に徹した。その過程で多額の借金を背負った佐吉の苦い経験は、トヨタの堅実経営の礎となった。【『生きる豊田佐吉』(毎日新聞社刊)毎日新聞社編】
※SAPIO2017年2月号