安倍晋三首相はトランプ大統領との首脳会談やゴルフもに浮き足立っているが、忘れてはいけない。戦後70年余り、日米首脳会談は非礼な要求が繰り返される「屈辱の歴史」だった。
「政界一の英語力」を謳われた宮沢喜一首相は、首脳会談でも通訳を待たずに丁々発止のやりとりをすることで知られた。しかし、議長を務めた東京サミット(1993年7月)に乗り込んできたビル・クリントン大統領に徹底的に叩きのめされた。サミット期間中、クリントンは宮沢に米国からの輸入量の数値目標を迫った。この会談で決まったのが、悪名高い米国から日本への「年次改革要望書」だ。
米国は日本に大店法廃止、郵政民営化など毎年の改革要求を突きつけ、日本は経済主権を失い、「第2の占領」状態になった。
そして、異例ずくめだったのが1996年の村山富市首相の訪米だ。
ホワイトハウスでの首脳会談では通常、大統領執務室で首脳同士の“サシの会談”が行なわれる。だが、クリントンは「効率をあげたい」といきなり大部屋での全体会議を開催、会談後の記者会見も専用の部屋ではなく、狭い玄関ホールで間に合わせた。しかも、米国では大統領と各国首脳との共同会見は例外なくCNNで放映されたが、村山首相はなし。古森義久・産経新聞ワシントン駐在客員特派員が振り返る。
「30年近く米国取材をしてきたが、村山首相への対応はひどかった。首相はブレアハウス(ホワイトハウス隣の迎賓館)に泊まったものの、閣僚など要人で会ってくれる人はほとんどおらず、行くところもなかった」
(文中一部敬称略)
※週刊ポスト2017年2月17日号