新聞のスポーツ欄にはこれから、各地方大会の結果がずらずらと並んでいく。私にとって夏の風物詩だ。自分が卒業した高校が初戦負けして「また今年も見に行けなかった」と思ったり、統合して校名変更している学校の存在を知り、時代の移り変わりを感じることもある。
そうやって眺めていると、自分が高校野球に夢中になっていた子ども時代に一気に記憶が引き戻される。
子どものころ、ぜんそくがひどくて、野球は友だち同士でちょろちょろっとしたくらいの経験しかない。私の野球経験はもっぱら観戦だった。
奈良県立橿原球場まで自転車をこいでいった。たまに生焼けの部分があったネット裏の屋台のお好み焼き、寝っ転がった外野席の芝生の感触、みんな覚えている。1回戦、2回戦で負けてしまうような学校でも、内野で球回しをするお兄さんのボールが速く、友達と「見えへんぞ」とびっくりした。
そして観戦のお供はスコアブック。本を読んで1人で付け方を勉強した。ぜんそくがひどくなって球場にも行けないときは小さな机をテレビの前にちょこんと置いて、受信状態の悪い奈良テレビを必死に「解読」しながらスコアを付けた。よその子が日差しいっぱいのなかを走り回っているのに、部屋で1人、胸をヒューヒュー言わせながらちまちまとスコアを付けていた小学生の私の後ろ姿を、母親がどんな思いで見ていたか分からない。
中学、高校、大学と文系サークルばかりの私だが、ライターになり、縁あって高校野球担当記者になった。テレビの前に座っていた私が、甲子園球場のネット裏の記者席に座った。緑色の机にスコアブックを置いて目をやると、段々畑のような客席の先にバックネットがあり、ホームベースがあり、たっぷりとした黒みをたたえたあの「甲子園の土」があり、緑色の濡れた芝があった。そして全てを見下ろすような巨大なスコアボードが、浜風に揺られる旗をたなびかせながら毅然として存在していた。
今も病気などで野球が好きでもプレーできない子どもたちがいるだろう。そんな子どもや母親に私は言いたい。
大丈夫や。神様はちゃんと居場所を用意してくれるで。
かつての私や、かつての私に見守られながら地方大会で敗れ去っていった選手もそうであったように。