「『日本戦史』図と呼ばれる有名な布陣図があるのですが、これが近年、明治に入ってからのフィクションだと明らかになりました。実際には石田ら西軍は関ヶ原の西にある山中という場所に布陣していて、そこに東軍の武将たちが一方的に攻め込んだ。いわば“山中合戦”だった」(白峰氏)
つまり、「鶴翼の陣」も疑わしいということになる。
「戦いの勝者が後世になって自らに都合のよいストーリーを記録として残す例は数多くある。そうした史料に基づくエピソードが“史実”として広まってしまうのはよくあることです」
と歴史研究家の井手窪剛氏はいう。よく知られたドラマチックな逸話より、「事実」があっさりしているという例もあるようだ。
※週刊ポスト2017年7月21・28日号