ここで会ったが417年目──司馬遼太郎原作の映画『関ヶ原』が8月26日に公開となり、1600年に行なわれた“天下分け目の戦い”に改めて注目が集まる中、合戦で火花を散らした戦国武将の子孫たちが集結した。時代と恩讐を超えた歴史的会談が実現したのである。
日本列島が猛暑に見舞われた8月某日、本誌は「関ヶ原サミット」を開催すべく、都内某ホテルの一室に戦国武将の子孫たちを招聘した。
出席メンバーは、東軍の大将・徳川家康の子孫である徳川宗家18代目当主・徳川恒孝氏(77)、東軍に寝返ったとされる“関ヶ原のキーマン”小早川秀秋の子孫・小早川隆治氏(76)、対する西軍を率いた石田三成の子孫・石田秀雄氏(67)と参謀・大谷吉継の子孫・大谷裕通氏(61)の4人だ。
石田:私たちは因縁の仲(笑い)。特に小早川さんとは一度お話ししたいと思っていました。今日それが叶って嬉しいです。
〈関ヶ原の命運を分けたのは、石田三成率いる「西軍」として参加していた小早川秀秋の“寝返り”だと言われている。当初、西軍有利で進んでいた合戦だが、家康に内応していた秀秋が1万5000の兵を率いて大谷吉継の陣を背後から急襲。不意を討たれた吉継軍の全滅で形勢は逆転し、東軍の大勝となった。捕らえられた三成は京の六条河原で斬首され、小早川秀秋の名は“裏切り者”の代名詞となる〉
石田:もちろん、秀秋が東軍についていなければ、関ヶ原の戦いは西軍の勝利だったのではないか、と考えてしまうことはあります。
小早川:はい。そうかもしれません(苦笑)。