石田:戦う気満々のこっち(西軍)は焦ってるわけですよ。「家康はなぜ出陣しないんだ!」と。でも、水面下で動いていたんですね。
徳川:狸親父とよばれるだけのことはあると思いますよ。しかし、なんだか今日は分が悪いところに来ちゃったなァ。恨み言を浴びたりするのかな、と思ってドキドキしています(笑い)。
石田:とんでもない! 私は家康公にはむしろ感謝しなきゃいけないんですよ。合戦後に家康公が石田家で罪を問うたのは三成だけでした。私は三成の息子・重成の子孫。もしあのとき重成まで処分されていたら、今の私は存在しなかった。東軍の将が、家康公ではなく織田信長だったら、一族郎党皆殺しだったでしょうね。
先ほど申し上げた通り、秀秋に関しても、“裏切り”とは思ってない。我々の世代になるともう、遺恨はないですね。
小早川:すでに小早川秀秋の血筋は完全に断絶しており、現在の小早川家は明治時代に毛利家から分家したもの(*注)だということも遺恨が薄い理由かもしれません。秀秋は戦国時代には馬に乗って駆け回っていたようですが、私は馬ではなく車が好き。大学卒業後はマツダに入り、今ではモータージャーナリストをしております。
【*注/小早川家は戦国時代から毛利家に養子をもらうなど縁が深かった。秀秋が子供をもうけないまま21歳で亡くなって以降、小早川家は断絶していたが、1879年に当時の毛利家当主の三男が小早川姓を名乗って再興された】