「暮らし」や「日常」に根ざして生きるというと聞こえはいいが、それは戦時下の「日常」を描くとたちまち、非政治的な「いい話」に転じてしまうアニメ『この世界の片隅に』への評価にも連なっていく。
戦後、花森が「敵」としたのはもっぱら商品CMだが、戦時下の広告理論誌に散見する彼の精緻で冷徹なマーケティング理論を読むと、この人の大衆動員の才能がわかる。花森は「暮らしを犠牲にしてまで守る」べきものなど戦争にはなかったと戦後語るが、何か花森の広告批判は「暮らし」の敵を「国家の戦争」でなく、「企業広告」という仮想敵にすり替えてしまったようにも思える。
「内閣を替えること」より「暮らし」(みそ汁)の方に関心を向ける有権者ほど、為政者にとって都合のいいものはない。そういう種類の「保守」こそは戦時下に「つくられた」のである。
※週刊ポスト2018年1月1・5日号