●岩倉具視──国のことを考えて望んだ日本初のがん告知
明治16(1883)年の初めに、ある青年から父親の容態について相談を受けたドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツは、嚥下困難などの症状から食道がんの疑いがあると診断した。父親とは岩倉具視だった。
『ベルツの日記』によれば、6月の末、宮内省からの依頼で岩倉を往診したベルツに、岩倉は包み隠さず本当のことを聞きたいと要求し、ベルツは容態が絶望的であると告げた。日本で初めてのがん告知だった。岩倉は井上馨に後事を託して同年7月20日に没し、日本初の国葬が執り行なわれた。
●江藤新平──自身が作った手配写真制度による逮捕の第1号に
明治5(1872)年に初代司法卿に就任した江藤新平は、司法制度の整備に尽力した人物。仇討ちを禁じたり、手配書の人相書きを写真に切り替えるなど、近代的な司法制度を推し進めていった。ところが、翌年に政府と対立して下野すると、明治7(1874)年、不平士族に担ぎ上げられて反乱を起こし、政府に追われる立場となった。
日本初の指名手配犯である。皮肉にも自身が整備した手配写真制度によって、現在の高知県安芸郡東洋町付近で逮捕され、同年4月13日に死罪となった。
※週刊ポスト2018年3月2日号