ガッツ本人に感想を聞くと、「みんな節穴じゃないっていうのかな。ものの本分がわかっているんじゃないかな」とご満悦の様子。
「『幻の右』っていうのは当たれば倒れるけど当たんないこともあるんで、インタビューでそう言ったら広まったんだよね。昔のグローブは(重さが)6オンスだったけど、今は安全性に配慮して8~10オンスでしょ。今はスポーツとして楽しく、昔は格闘技で生きるか死ぬか、その違いはあったよね。で、輪島は何位?」
ガッツがライバルとして意識する輪島功一はガッツより“2ランク下”の6位だった。輪島の代名詞といえば、相手の意表を突く「カエル跳びパンチ」。1971年にWBA・WBC統一世界スーパーウェルター級王者になり、6度の防衛に成功した上、一度陥落した後にその相手にリベンジして再度王座に返り咲いた。観戦歴40年の俳優、酒井敏也がボクシングファンになるきっかけとなった柳済斗戦である。
「当時、強盗の立てこもり事件で警察官が犯人に『自首して輪島の根性を見習って人生やり直してみろ』って説得したのを今でも覚えている。それだけ輪島のファイトは感動的だった」(会社経営・60)
彼らが活躍した1970年代は日本のボクシング黄金時代だった。1971年には大場政夫(3位)や西城正三(18位)ら5人が同時に世界王者となっていた。
「大場が5度目の防衛戦で1Rにダウンを奪われて足を捻挫までしたのに、その足を引きずりながら12Rで逆転KOした場面には心底、震えた。大場はその試合の直後(23日後)に交通事故で死んだ。私のなかではまさに『永遠のチャンプ』です」(元鉄道会社・65)
※週刊ポスト2018年6月15日号