かなり前、私は別の東大教授と対談したことがある。学識豊かな優れた人物だった。対談の休憩時間の雑談で、出身高校を聞いたら加藤の受講生とは別の名門中高一貫校の名を挙げた。中学の夏休みの課題図書は森鴎外だった、と彼は言った。私は、さすがですね、『山椒太夫』か『高瀬舟』ですか、と聞いた。すると彼は首をふって言った。『渋江抽斎』です。面白かったので、ついでに『伊沢蘭軒』も読みました。『北条霞亭』は少し後、中学三年生の時だったかな。
ああ驚いた。史伝三部作を私が読んだのは、大学卒業後二、三年してからだ。それでも読んでいてよかった。話が合わせられなかったら大恥だった。
大学受験では「暗記」を問うのではなく「思考力」を問うべきだ、などと良識家が言う。しかし、画数の多い漢字でも無理やり丸暗記しなければ、思考力さえつかない。十八歳人口の半数が大学に進む時代とは、漢字の丸暗記さえできない大学生を作る時代ということである。
さらに、思考力を身につけるには公的な義務教育では足りず、高額な授業料を払って名門私立校に行かなければならない時代であることをも意味する。これができるのは、知的な富裕層であり、しかも世代間継承によって、階層が固定する。思考力ある支配層の固定化。古典的な階級社会とは違う階級社会が出現しつつある。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2018年6月29日号