では、築22年相当の1億円の木造住宅を日米で比較すると、日本側の建物はアメリカの4分の1の価値しかないほどに貧相なのか。一概には言えないが、4倍もの差が出るとは考えられない。日本でもこの30年ほど木造戸建ての建築技術はそれなりに発達してきた。また、何よりも22年後に1億円の評価を受けるような木造戸建てには“安普請”が少ないはずだ。
安普請……これは長らく日本人の住宅観の中心に居座ってきた概念だ。
昭和的な人間の評価基準に「家を建ててこそ男は一人前」というのがある。家を建てずに、一生賃貸で暮らしたり、親が建てた家を自分の代で建て直さなければ「一人前ではない」と見なされるのだ。
笑ってしまいそうだが、昭和の頃はこういう考えが当たり前だった。今も多くの人が割高にもかかわらず新築の住宅に住みたがるのは、そういった既成概念に捉われている、と考えるべきだろう。
逆に考えれば、家を建てるといっても100年も住めるような立派なものではなくてよかった。せいぜい自分が老後まで過ごせる程度で十分、というのが昭和以前の発想。だから「30年程度住めればいい」という家づくりが主流だった。これが「安普請」の源流にある。
その結果「30年しか持たない建物の減価償却」なら22年程度でよいだろう、というのが日本の税制となっているのだ。
アメリカでは木造住宅でも50年以上住んであたり前だと考える。だから、50年でも100年でも住めるようにしっかりと造る。そして、適切なメンテナンスを施すのも常識。だから、不動産を評価する場合に建物の方に重きを置く。この日米の木造住宅に対する評価の差を利用して、国内のめざとい投資家が節税を行っている、ということである。
さて、長らく住まいは「安普請」で「30年暮らせればいい」という日本人の価値観は今、完全に崩れたと言っていい。木造の一戸建て住宅も、昭和以前に比べればかなり丈夫になった。今の標準的な木造住宅には軽々と40年以上は住めそうだ。
しかし、それよりも日本人の住宅観を一変させたのは鉄筋コンクリート造のマンションという住形態の存在だ。それも、賃貸ではなく分譲マンション。
まず、ハード的な面で考えると、鉄筋コンクリート造のマンションは100年以上でも住めそうだ。現存するもっとも古いマンションでも築60年程度なので証明はされていない。しかしその築60年のマンションで適切な修繕が行われている物件をみると、まだまだ20年や30年は十分に住めそうなのだ。ただし、今後もきっちりとメンテナンスを施す、という前提においてだが。