「睡眠薬を使い始めたのは7年前から。家に連れて帰れたのは300件以上。未遂を入れると倍以上。捕まる3~4ヶ月前ぐらいからはもう百発百中で、(連れ帰れそうな女性の)見極めがついてて、歯止めがきかなかった。それまでは、服を脱がせるってとこまではやってなくて、髪を触る、服の上から胸を触るぐらいだったけど行動がおかしくなっていって、(自分から)病院に行こうと電話したりしてたところだった」
つまりまだまだ被害者はいるということだ。睡眠薬を飲まされたため、自分が何をされたのか分かっていないまま、生活を続けている女性もいるだろう。
栗田被告は性的嗜好に問題があることは自覚している。そして彼は「里親は俺の髪の毛のことに対して何もしなかった……」と、里親を恨み続けている。「厳しかった。俺のしたことに対して『変わってる』って言って何度も怒った」という里親は、常日頃から15歳での自立を子供に求めていたという。だが、それより2年早い13歳の頃、栗田被告は施設に戻されてしまった。その原因は「同級生女子のジャージを複数回盗んだこと」だったらしい。栗田被告の中で里親は“子供の危険な性的嗜好をうすうす知りながら、育てることを放棄した”存在となっており、今も面会のたび「なんで俺を家から出したのか」と繰り返している。
栗田被告は面会取材に際し「1ヶ月に5冊、写真集を差し入れる」ことを要求してきた。指定してくるのは決まって「黒髪ロングの女性の写真集」。彼はこれを「治療のため」と言うが、性的欲求を満たすためであることは容易に想像できる。差し入れが遅れた時には手紙や面会で催促を重ねてくる。8月には「もう今月分で終わりで良い」と自分で言ったにもかかわらず、翌々月には「やっぱりまた頼みたい」と勝手に5冊指定してきた。
面会取材を重ねる間、公判は遅々として進まなかった。再逮捕による追起訴が続いたうえ、栗田被告は精神鑑定に付されたのである。そして、初公判から2年が過ぎた今年の10月1日、ようやく懲役16年が求刑された。11月6日に言い渡された判決は懲役15年。
「精神鑑定は『フェティシズム障害』って結果が出た。治療に対する意識が高いうちにやらないと」とは言うものの、こうも語るのだ。