1世代前のボルボのデザインはそれこそ飾り気がほとんどなかった。見かけはノンプレミアムと言ってもよかった。そのボルボがXC90以降、にわかに華やいだイメージを持ちはじめたことについて、筆者はユーザーのプレミアムセグメントに対する過剰性の要求が強まっているご時勢だから致し方ないと思っていた。
だが、実際に風景の中に置いてみると、新世代デザインのV90は旧世代のボルボ車と同様に、風景に溶け込んでしまい、存在感をどーんと主張するようなことがなかった。各部に配された光り物であるモール類も実はとても細かく作られており、ちょっと距離を置いて見ると目立たなくなるようにデザインされていた。
もともとボルボは純粋なプレミアムブランドではなく、北欧の小国スウェーデンで作られる毛色の変わったクルマというイメージを抱かれていた。その特別さをプレミアムに転化できると踏んだのは、ボルボが中国の吉利汽車の傘下に入る前の親会社、米フォードだった。
環境技術、デジタル設計技術など、フォードの技術資産を移植したことで、ボルボのクルマづくりは一気に近代化された。一方で、デザインは常にライバルより地味で、プレミアムイメージという点では抑制的だった。
新世代ボルボのデザインも、実はその点についてはほとんど同質で、近くで見たときだけちょっぴり華やかに見えるようになったことだけが変化したポイントだ、
地味めだが高級車的なクルマづくりを貫いたことが、結果としてプレミアムセグメントのトレンドである過剰性に対するカウンター勢力という独自性を発揮し、それがブレイクのひとつの要因になっているのではないかと推察された。泣いても笑っても限られた台数しか生産する能力を持たないメーカーとしては、格好のニッチポジションを見つけたといったところだろう。