日本列島を炎暑が覆っている。エアコン、扇風機、冷感剤……寝苦しい熱帯夜に涼を得る手段はさまざまだが、たまには部屋を暗くして、日本古来の「怪談ばなし」で涼しくなるのはどうだろうか。身の毛もよだつ怪談ばなしのルーツを歴史作家の島崎晋氏が解説する。
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夏といえば怪談。怪談といえば講談師にして人間国宝の一龍斎貞水かタレントの稲川淳二というくらい、夏の暑い盛りに怪談を聞くことで背筋を寒くするという“習慣”は、冷房の普及した現在でも廃れるどころか、逆にすっかり定番と化している。
日本における怪談の歴史は平安時代にまでさかのぼれるが、夏の風物詩と化したのは比較的新しく、百物語の名で広く一般庶民にまで普及したのは江戸時代後期のようである。
百物語の名は、人びとが黄昏時に集まって百本の灯をともし、恐い話を一つするたびに一つずつ消していき、丑三つ時(午前2時~2時半頃)、百の灯がすべて消えたとき、必ず怪異現象が起こるとされたことに由来する。
百物語は余興として行なわれることもあったのか、昭和43年(1968年)公開の時代劇特撮映画『妖怪百物語』では、悪徳豪商が寺社奉行の接待に落語家を呼んで百物語をやらせるが、憑き物落としの呪いを省いたために妖怪たちから祟られ、豪商・寺社奉行ともに身を滅ぼすというストーリーだった。
話を本筋に戻すと、江戸時代前期までの百物語は武士のあいだだけで肝試し、練胆の会として行なわれたもので、夏に限られてもいなかった。涼を感じるためではなく、いついかなる敵に遭遇してもたじろぐことのない精神を鍛えるための、いわば修行の一環であったのである。
武士の嗜みとして百物語が行なわれるようになったのは室町時代のこと。人を殺すことに慣れた彼らが何を恐がるのかと訝しく思われるかもしれないが、刀や槍など通常の武器では歯が立たない妖怪や怨霊が相手となれば話は別である。ましてや、京の都は非業の最期を遂げた者が非常に多く、日本一の怨霊の溜まり場とも呼べるところ。地方から治安維持のため集められた武士たちにとっては「百鬼夜行」のイメージがいまだ強く、夜の暗闇から何が出てきても不思議ではない環境だった。