とはいえ、いきなり馬連が定着したわけではない。「代用」のある枠連に対する思いを抱くファンも根強く、従来通り枠連を軸にした予想もあった。秋からの導入だったこともあり、JRAによるこの年の集計では、枠連がまだ80%を超えていた。
しかし、翌平成4(1992)年は春の安田記念、オークス、ダービーで馬連がすべて万馬券になった。とくにミホノブルボンが2冠を達成したダービーでは、枠連のゾロ目7-7が1370円だったのに対し、ライスシャワーとの馬連は2万9580円となり、その威力を見せつけた。そして7月の福島障害戦で、馬連24万330円という高配当。三連単が定着した今では、さほど珍しくもない配当だが、当時はまさに「夢馬券」だった。
この平成4(1992)年、枠連35%に対し、馬連は59%と一気に逆転。売上が4兆円を突破した9(1997)年には77%にも達し、馬単と三連複が導入される前年の13(2001)年まで70%台をキープし続ける。
一方、枠連は昨年のシェアがわずかに3%。8種類の馬券の中でもっとも少数派になってしまった。
しかし、今年の高松宮記念では、馬連3―4の3万530円に対し、枠連2-2が3万3310円もついた。同枠でワンツーだった時は枠連(ゾロ目)の方がつくことが往々にしてある。その他、少頭数でひとつの枠に1頭だけのとき、また狙った馬の同枠の馬が極端に人気薄のときは、発売締切までの時間があれば、オッズを比較したいものだ。
●ひがしだ・かずみ/今年還暦。伝説の競馬雑誌「プーサン」などで数々のレポートを発表していた競馬歴40年、一口馬主歴30年、地方馬主歴20年のライター。
※週刊ポスト2019年8月16・23日号