そして、両棟に囲まれるように「オークラスクエア」がある。ホテルに到着したゲストを迎える“玄関”でもあり象徴的な広場となっている。
中央に設えられた広大な水盤が印象的であるが、この水盤を設けるために大倉集古館(大倉喜八郎が設立した日本初の私立美術館)を“6.5m移動させた”というから驚く。北側の広大な緑地や庭園も含め、中層のヘリテージウイングからは、都心にいながら贅沢な眺めを満喫できることだろう。
そもそも1962年竣工のホテルオークラ東京は、「日本モダニズム建築の最高傑作」として海外からの評価が高かったこともあり、閉館が決まった際には取り壊しを惜しむ声が相次ぐなど大きなニュースになった。
その象徴的なスペースが本館のメインロビーである。「オークラ・ランターン(つり下げ式の照明)」や梅小鉢とも称されるテーブルセットなどが配された光景が印象的であったが、今回それらの利用も含め空間が精密に再現された。
当時の本館に親しんだ筆者としても、伝統を見事に継承させたロビーの光景には驚いた。ここまで再現するとは相当困難な作業であっただろうことは想像に難くない。新しく造ればピカピカなハードになったはずだが、実際に出向くと、どことなく懐かしさに抱かれるような雰囲気を醸し出しているのだ。どこまで計算されたスペースなのかは推測の域を出ないが、まるで20年ほど前に遡ったような古き良き空間に造り上げられている。
筆者は国内のホテルが評論対象であるが、世界のホテルを知るジャーナリストの「本当のホテルといえるのは日本ではオークラだろう」という言葉を思い出した。オークラにはホテルとしての確固とした矜持があるというのだ。
長年オークラを愛してきた顧客の声もまた同じであろう。オークラのダイニングは独特の雰囲気がある。ベテランスタッフと昔話に花の咲くお爺ちゃんお婆ちゃん、そしてお父さんお母さん。さらに子供たちで食事を楽しむ仲睦まじいテーブルが時折目に留まる。
幼き頃、両親に連れてこられた子供たちはいまやお父さんお母さん。ハレの日におめかししてお出かけしたホテルの食事は一生の思い出だ。こうして三世代に引き継がれていくオークラの思い出、“特別な時間”の積み重ねこそホテルの伝統となり、一朝一夕には体現できない、まるでヴィンテージワインのような芳醇さこそがホテルの格につながる。