しかし進化した現代ラグビーでは、プロップにも走力やパス技術などが求められるようになった。父は、息子を世界に通用するプロップに育てようとしていた。
「あの時期がいちばんキツかったです。正直に言えば、つらくてもう辞めたいと思ったこともあります」と具はこぼした。しかし──具少年の心の支えが、両親の愛情だった。
「お父さんとお母さんが、ぼくらのために、ニュージーランドや日本で一緒に暮らしてくれた。お父さんとお母さんのおかげで、すばらしい環境でラグビーを続けてこられた。こんなに一生懸命になってくれる両親は世界中どこにもいません。だから苦しい練習にも耐えられたんです」
中学を卒業すると兄も通う日本文理大学附属高校に進学する。その頃、父は仕事の関係で韓国と日本を行き来していたが、大分に戻ると必ずグラウンドに顔を出して、スクラムを指導した。
「低く」「低く」──。
父は低い姿勢で組む重要性を繰り返した。その成果だろう。高校2年になった具はU17日本代表に招集される。
もっとがんばれば、もしかしたら…。具は、桜のエンブレムを胸にW杯を戦う姿をはじめて思い描いた。
日本代表への憧れが募ったゲームがある。4年前の前回W杯で、拓殖大学3年生だった具は南アフリカからの勝利を知り、緊張し、体が震えた。驚きや喜びとは別の思いがよぎり、武者震いにおそわれたという。
「これから日本代表はレベルがもっと上がる。自分も早くそのレベルに達する選手にならなければ」
日本代表は、具たち若い海外出身選手にとって、憧れの対象になったのだ。
はじめて日本代表に選出されたのは、その2年後の2017年。11月16日、フランスのトゥールーズで行われたトンガ代表戦の前。桜のジャージにはじめて袖を通した具は、安心感に満たされていた。やっとここまできた。夢だったジャパンのジャージをようやく着ることができた、と。
取材・文●山川 徹(ノンフィクションライター)
やまかわ・とおる/1977年生まれ。山形中央高校2、3年時に全国高等学校ラグビーフットボール大会(通称“花園”)に出場。東北学院大学法学部卒業後、國學院大學二部文学部史学科に編入。主な著書に、『東北魂―ぼくの震災救援取材日記』『カルピスをつくった男 三島海雲』『国境を越えたスクラム――ラグビー日本代表になった外国人選手たち』など。
※女性セブン2019年10月24日号