◆生物のようにうねる「産業」
そして表題作の舞台は、昭和26年の江別・野幌地区。流れ流れてこの〈レンガ場〉に辿り着き、先ごろ頭目に抜擢された〈佐川吉正〉は、緊張した毎日を送っていた。野幌の赤く硬い土を成形し、高温で焼き上げるこの仕事は、熱く、重い、重労働だ。彼自身、以前は下方を務め、今では妻と2人の息子にも恵まれたが、何かと訳ありな下方を束ね、増産一方の会社側の要求に応えるのは、それはそれで骨が折れた。
そんな中、初老の新入り〈渡〉が心不全で突然死する。彼は遺族に詰られながらも、渡が〈あの仕事、ええですよね〉〈格好ええな〉と言って窯焚きに見入っていたことや、頭目の先輩格〈田代〉から言われた〈使い潰す側にいなきゃ、自分が下方として使い潰されることになるんだぞ。そんな仕組み、俺らじゃ変えられねえ〉という言葉を思い返していた。
そして、せめて子供には教育をと決意して数十年。彼の次男〈光義〉は、大卒後に入った道内有数の大銀行が経営破綻。行き場のない〈怒り〉を野幌の土を使った陶芸にぶつける光義の再起が最終章「温む骨」には描かれ、人々の挑戦と失敗の歴史は今なお、やむことがない。
「例えば同じ戦後開拓組でも借金で首が回らなくなったり一家離散したりで、残った人は半分に満たないし、国とか偉ぶった連中の言うことを鵜呑みにするのは危険だと私も常々思います。現場も知らずに、よく言うよ、と。むろんトライにエラーはつきものです。でもそれを全くなかったことにするのはフェアじゃないし、彼らが自分の仕事を誇りにしたいい瞬間も、ここには書いておきたかったんです。
そういう担い手の思いを超えて経済なり産業なりが、意志を持った生き物のようにうねっていくからおっかないのですし、今ある産業も決して盤石ではないんだと痛感させられるニュースが、今あまりにも多いので」
人々が辛抱に辛抱を重ね、日々を生きた生活の歴史を、本書は再構築する試みでもある。その蓄積の上に今があることから目を逸らさない河崎作品は、少なくとも頭だけでは書かれていない。
【プロフィール】かわさき・あきこ/1979年北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒業後、ニュージーランドで牧羊を学び、実家の酪農従業員の傍ら、緬羊を飼育・出荷。2012年「東陬遺事」で北海道新聞文学賞、『颶風の王』で2014年に三浦綾子文学賞、2016年JRA賞馬事文化賞、2019年『肉弾』で大藪春彦賞。「命を扱う仕事との兼業はさすがにきつく、実は今いる羊を出荷次第、羊飼いはやめる予定なんです。年内には実家も出ようと思うのですが、住むのはあくまで道内ですね。暑いのが苦手なので」。154.6cm、A型。
構成/橋本紀子 撮影/三島正
※週刊ポスト2019年10月18・25日号