逆に地方競馬場で行なわれる交流重賞では、中央からの遠征馬が力の違いを見せつけることが多くて堅いレースばかりになり、馬券売上にもさほど効果が出なかった。
競馬界に大きな影響を与えたのは「国際化」同様、人の動きだった。オグリキャップの主戦としても知られた笠松所属の安藤勝己騎手は、前述のライデンリーダー以降、限定的に中央馬でも騎乗、タイキポーラのマーメイドSなど重賞を勝っていたが、平成15(2003)年に中央に移籍。その後はGI 22勝を挙げる活躍をした。
これに触発され、その後、地方のエースが続々中央に移籍。21(2009)年には大井の内田博幸が地方出身としてはじめて、中央のリーディングジョッキーとなった。小さな競馬場で、扱いにくい馬を御してきた経験が、存分に生かされたのだろう。
中央集権化ばかりが進んでいるように見えるが、生き残った地方競馬の主催者は馬券販売の民間委託、名物レースの創設や独自のファンサービス、さらにインターネットの活用など、地道な努力を続けた。その結果、平成23(2011)年度の3314億円以降回復に転じ、黒字化も達成。30(2018)年度には6000億円を超えるまでに回復した。競馬場の数も開催日数も縮小しての数字だけに価値がある。
首都圏でいえば、平日も大井、川崎、浦和、船橋のうちいずれかで競馬が行なわれている。スタンドなどの設備はだいぶ垢ぬけてきたが、飲食店などはやはりローカル感が漂う。それぞれの土地の空気を感じる中、かつて中央で名をはせていた馬が走っていたり、希少な種牡馬の産駒を見つけたりするのも楽しい。
●ひがしだ・かずみ/今年還暦。伝説の競馬雑誌「プーサン」などで数々のレポートを発表していた競馬歴40年、一口馬主歴30年、地方馬主歴20年のライター。
※週刊ポスト2019年11月8・15日号