あの頃の私は、認知症は理解していたが、母が認知症であることを受け入れていなかった。今は記憶障害も進み、掃除や洗濯、入浴も介助を必要とする母が、私の中の“いつもの母”になった。
それでも人の脳はすごい。記憶には残らないが、読書や音楽・美術鑑賞を楽しみ、昔の話を振れば、饒舌になる。きっと母の脳のいろいろな部分はまだ生きている。外から見えないので手探りだが、できることとできないことを塩梅するのが今の私の務めだ。
たとえばコンサートなどに誘う時、伝えるのは必ず当日の朝。喜んで楽しみにするかと思って前々から伝えると、予定の内容はすぐ忘れるので、当日まで、なんだかわからないことでソワソワさせることになる。
連日連夜、私に電話をしてきたり、一度はひとりでタクシーを拾い、乗り込もうとしたことまである。「娘と出掛けるのに、迎えに来ないのよ!!」と、偶然見つけて止めてくれたヘルパーさんから、母が興奮気味に言っていたと聞き、猛省した。それでも、約束の時間の15分後に迎えに行っても、すっかり忘れていることもあるのがまた不思議。
認知症に明快な正解はなく、難解なパズルのようで、直感で解けることもある。それに気づいたのが私の小さな成長。これからも手探りは続く。
※女性セブン2020年1月16・23日号