大牟田駅東口の広場には市制100周年の記念碑があり、そこには石炭関連施設が描画されている
しかし、専用線の廃止を発表すると、すぐに惜しむ声が多く寄せられる。大きな反響を受け、三井化学は残すことも含めて専用線の今後の活用を模索することになった。
その第一弾として、”ありがとう炭鉱電車プロジェクト”を発足。同プロジェクトでは、大牟田市や映画監督の瀬木直貴氏、関連団体の協力を得てメモリアル映像を制作するほか、6月にはラストランイベントを実施することも決まった。
しかし、「専用線の跡地の活用や貨物輸送で使用されている三井が保有する5台の車両については何も決まっていません」(三井化学コーポレートコミュニケーション部)という。
三井化学専用線を走っていた車両の多くは戦前期に製造された。鉄道車両としても貴重だが、大牟田市の歴史を語るうえでも、我が国のエネルギー史を語るうえでも欠かせない存在になっている。
「三井化学専用線で使用している車両はたいへん貴重ですので、引き取り手がいるならば、前向きに検討していきたいと考えています。ただ、まだ廃止を発表したばかりですので、何の動きもないのが現状です」(同)
炭鉱が街を大発展させたことを踏まえれば、三井化学専用線の車両や線路は大牟田市にとって大恩人といえる存在だろう。大牟田市が引き取り、博物館や公園などに保存・展示すること考えはないのだろうか? 大牟田市の広報課担当者は言う。
「これまでにも、大牟田市は炭鉱が閉山した後のまちづくりに活用したいという思いから炭鉱電車を4両引き取り、2016年から三池炭鉱の最主力坑だった三川坑跡で一般公開をしています。まだ、専用線の廃止が発表されたばかりなので庁内でも具体的な話は出ていませんが、こうした実績もあるので、今後は三井化学とも話し合いができればと考えています」
三井化学専用線の廃止と、それを保存しようという取り組みは、単に「昔はよかった」という懐古主義ではない。
各地の鉱山と運搬で使用された鉱山用の鉄道は近代化を支え、地域の発展に貢献した。今般、現役で稼働している国内の鉱山はきわめて少ない。国内の鉱山鉄道も数えるほどしか残っていない。役目を終えた鉱山鉄道の多くは遺産として残されることもない。いまや、その跡を探せる鉱山・鉱山鉄道の方が少ない。
我が国の炭鉱史・エネルギー史に大きな足跡を残した三池炭鉱と三池鉄道。それらを後世に残す作業は、容易ではない。資金も必要になるし、保存・管理のための人も必要だ。重要になる。
それでも、三池炭鉱と三池鉄道が我が国の炭鉱史・エネルギー史に大きな足跡を残したことを忘れてはいけない。これらなくしては、日本の戦後復興はなく、その後の高度経済成長もなかった。
先人たちが流した血と汗の結晶を語り継ぐためにも、築き上げた繁栄に感謝するためにも、そうした記録を後世に残していく作業は非常に重要になる。それが、現代に生きる私たちに課された使命といえるだろう。
現在の三井化学専用線