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2020.03.09 16:00  週刊ポスト

1970年代以前に「職人」が積極的によい言葉ではなかった理由

 それ以前、「職人」は、少なくとも積極的によい言葉ではなかった。明治大正期、娘の結婚相手に、勤め人がいいか職人がいいかと問われれば、大半の親は勤め人だと答えたはずだ。職人は不安定で苦労の多い肉体労働というイメージだったからである。

 例外は、反骨のジャーナリスト長谷川如是閑(にょぜかん)である。『ある心の自叙伝』他によれば、彼は日本を「職人の国柄」とし、空理空論ではない実践の気風がある、とした。一説には、職人という言葉を聞いただけで感動して泣いたという。たぶん伝説だと思うけれど。

 一方、戦後の左翼知識人は職人を侮っていた。

 小関智弘は小説家であり、本物の職人、旋盤工である。直木賞にも芥川賞にも候補に挙がり、専業の小説家になるように勧められながら、頑として旋盤工を続けた。

 代表作『春は鉄までが匂った』に、こんな話が出ている。

 詩人で社会評論家でもある関根弘は、こう言ったという。「アルチザンには、発見はあるが発明はない」。アルチザンとは、おフランス語で職人の意味。対義語はアルチストで、芸術家。職人はクリエイティブでない、だから駄目だ、というのだ。この連中がどれだけ創造的だったのだろうか。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

※週刊ポスト2020年3月20日号

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