のちに230万部を超えるベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)を残すことになる和子さんは、亡き父に導かれるようにして法要に参加した。このとき参列した被害者側の遺族は、和子さん一人だったという。そして、その場で父を襲撃した二人の将校の遺族と顔を合わせることになる。
〈お線香を供え、手を合わせ、言葉もなく振り返ると、そこに、高橋[太郎]、安田[優]両少尉のご令弟お二人が深々と頭をさげ、涙を流していてくださった。この時である。はじめてその日、思い切ってお詣りしてよかったと思ったのは。
辛い思いを抱いて五十年生きてきたのは私だけではなかった。むしろ、叛乱軍という汚名を受けた身内を持つご遺族こそ、もっと辛い思いをなさったに違いない〉(前掲書)
◆すべての犠牲者の冥福を祈る
被害・加害を問わず、犠牲者すべての冥福を祈る──「恩讐」を超えたその行動が、また新たなつながりを生んでいく。
前述した『渡辺錠太郎伝』(小学館)を著わした歴史研究者の岩井秀一郎氏は、事件の半世紀後に始まった稀有な“縁”を同書の中で明かしている。
「和子さんは、この法要で知り合った安田優少尉の弟・善三郎さんと、生涯にわたって交流するようになります。加害者側の遺族にも心を開いてくれた和子さんの行動に感銘を受けた善三郎さんは、これを機に和子さんの著書を読んでキリスト教の教えを学び、多磨霊園に眠る渡辺大将の墓参を始めます。それ以来30年以上にわたって二人が交わした書簡は数百通にも及び、年に一度は和子さんを自宅に招待したり、和子さんの講演先に安田さん夫婦が同行したりすることもあったそうです。善三郎さんは、90代半ばになった今でも毎年2回、多磨霊園での掃苔を欠かさず続けているといいます」(岩井氏)
そしてまた青年将校らの命日である7月12日を迎える。賢崇寺で営まれる仏心会の法要は今年が85回忌となる。遺族は今もすべての犠牲者の冥福を祈り続けている。
●参考資料/高橋正衛『二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動』(中公新書)、岩井秀一郎『渡辺錠太郎伝 二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想』(小学館)