天皇陛下一覧

【天皇陛下】に関するニュースを集めたページです。

公務に邁進されている(6月、東京・港区)
佳子さま「公務に積極的」になられた背景に「皇籍離脱」「結婚」か
 ご両親との断絶、公務への消極姿勢──これまでの佳子さまからは、女性皇族としての人生への困惑と葛藤が感じられた。しかし、そのご様子が大きく変わりつつある。佳子さまの複雑な胸の内。「佳子さまは、普段どんなことをされているのか」 少し前に、宮内庁担当記者が秋篠宮家の側近職員にぶつけた質問だ。しかし、職員はしどろもどろになるばかりで、詳しいところを明かすことができなかった。それほどまでに、これまでの佳子さまの生活ぶりはベールに包まれていた。ところが、最近の佳子さまのご活躍ぶりはめざましい。 5月7日に「みどりの感謝祭」(東京・千代田区)、6月3日に「産経児童出版文化賞贈賞式」(東京・港区)、12日に「東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」(東京・渋谷区)へとお出ましになった。7月中旬には、地方での公務も予定されているという。また、6月14日には、かつて姉の小室眞子さんが務めていた「日本工芸会」の総裁に就任されることが明らかになった。「眞子さんが務めていたお役目を引き継ぐのは、日本テニス協会名誉総裁に続いて2つ目です。佳子さまは2019年に国際基督教大学(ICU)を卒業されましたが、公務に消極的だと指摘されることもありました。その背景には、秋篠宮ご夫妻との距離や、以前より抱かれている“皇室を脱出して、皇族の身分を離れたい”というお気持ちがあるように見受けられたのですが……。ここにきての方針転換は、どういった心境の変化なのでしょうか」(宮内庁関係者)「世論を味方につければ潮目は変わる」《皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる》 現行の皇室典範には、そう規定されている。憲法の言葉を借りれば「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するわけだが、眞子さんと小室圭さんの騒動の余波はまだ続いており、「女性皇族の結婚」そのもののハードルが上がっていることは否めない。「“眞子さんと小室さんの結婚への段取りが進められている”と報じられた当初は、世間からも歓迎されましたが、小室さんの母・佳代さんと元婚約者の金銭トラブルが報じられると世論の風向きが一気に変わった。その騒動を見た後で、佳子さまのお相手候補に名乗り出る男性がはたしてどれだけいるか……。仮にいたとしても、“佳子さまの夫としてふさわしいか”という議論が巻き起こり、大きな関心を集めることは目に見えている」(皇室記者) 結婚以外にも、女性皇族が皇室から脱出する方法はある。《年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる》 皇室典範には、そうも記されている。2名の皇族や総理大臣、衆参両院議長や宮内庁長官らからなる「皇室会議」で承認されれば、皇族の身分を離れることができるのだ。実際、1982年に「ヒゲの殿下」の愛称で親しまれた三笠宮家の寛仁さまが、社会福祉活動への専念のため皇籍離脱の意思を表明されたことがあった。 皇室会議は男性皇族の結婚など、皇室のなかでも極めて重要な問題を議論する場である。戦後、旧皇族の皇籍離脱を除いて、7回開かれたうちの6回は男性皇族の結婚について。唯一趣旨が異なるのは2017年、天皇の退位に関する皇室典範の特例法が議題にあげられたケースだ。 寛仁さまの場合は、伯父にあたる昭和天皇の説得もあり、皇室会議が開かれることなく、寛仁さまは皇室に残ることを選択された。それだけに、佳子さまが皇籍離脱の承認を得ることは簡単なことではない。「眞子さんの結婚は、世論が反転したことで暗礁に乗り上げました。特に、秋篠宮さまが求められた『国民の納得と祝福』が最後まで得られなかったことで、結婚に関する儀式は行われず、結婚一時金も支払われなかった。 眞子さんの結婚を後押しされる一方、佳子さまはそうした状況を冷静にご覧になっていたのではないでしょうか。“世論を味方につければ潮目は変わる”とお考えになった可能性は大いにあります」(皇室ジャーナリスト) 一刻も早く、皇室を「脱出」したい。結婚には何より相手が必要だけれど、皇室会議で皇籍離脱の承認をこぎつけるためなら、ひとりでも動ける──。「皇族としてのご自覚を持って公務を行われようとするお気持ちの一方、佳子さまは国民の中に“味方を増やしたい”とお考えなのかもしれません。熱心に公務にお出ましになる姿を見せることで“佳子さまはここまで頑張っているのだから”と、自らの皇籍離脱を前向きに認めてもらう世論を作りたいのではないでしょうか。 結婚は、皇籍離脱をして一般人になってからでもできます。むしろ、一般人同士の結婚ならば、天皇陛下の『裁可』をいただく必要もなく、皇族としての結婚の儀式も不要なため、格段に“意中の相手”と結ばれるためのハードルは低くなる」(前出・皇室ジャーナリスト)佳子さまはかけがえのない「戦力」 ご本人が望まれるなら皇籍離脱をさせてあげたい──懸命に公務を担われる佳子さまのお姿を見て、将来そのように感じる国民は少なくないだろう。ところが「佳子さまが公務に励まれれば励まれるほど、皇室脱出からは遠ざかる」(別の宮内庁関係者)という声もある。「皇室の先細りは喫緊の課題です。高齢化も著しい。かつて数人で手分けをしていた要職を兼任することも増えています。例えば、日本テニス協会の名誉総裁は、秋篠宮さまが初代で、眞子さん、佳子さまと引き継がれました。一方、日本工芸会の総裁は、高松宮さま、桂宮さまが務められ、その後、眞子さん、佳子さまに引き継がれています」(前出・宮内庁関係者) つまり、精力的に公務をこなされる佳子さまは、皇室にとってかけがえのない「戦力」であり、簡単に手放せる存在ではなくなるのだ。皇室脱出ということになれば、公務の担い手不足がより加速することになる。 結婚が先でも、皇室脱出が先だったとしても、佳子さまと皇室にとって危うい大問題が具現化することになる。現在、政府は皇族数減少への対応策を練っている。「昨年12月、政府の有識者会議による最終報告書では、皇族数の確保のために『女性皇族が結婚後も皇室に残る』のが主要な案の1つとされました。議論の方向によっては、佳子さまは結婚しても皇室に残り、公務を担わなければいけなくなる可能性が高い」(別の皇室ジャーナリスト) 少なくともそれは、佳子さまが描かれる理想とはほど遠いだろう。※女性セブン2022年7月7・14日号
2022.06.30 07:00
女性セブン
白を基調としたフォーマルなコーデの美しき佳子さまに感嘆
秋篠宮家、公務のちぐはぐ 佳子さまとご夫妻の間にすきま風、悠仁さま公務回避の理由は?
 6月12日、秋篠宮ご夫妻は、広島県で開かれた全国ろうあ者大会に臨席された。「大学時代から手話に親しまれてきた紀子さまは、通訳者なしでやり取りをされていました。スピーチの際には、秋篠宮さまがぎこちないながらも手話を披露され、大きな拍手が送られたシーンもありました」(皇室記者) しかし、全国ろうあ者大会を主催する全日本ろうあ連盟に非常勤の嘱託職員として勤務する佳子さまは、広島の会場には姿を見せられず、都内で行われた「東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」に臨席された。「秋篠宮家の公務には、ちぐはぐさを感じてしまいます。眞子さんの結婚を巡る騒動以降、眞子さんの“応援団長”だった佳子さまとご両親の間にはすきま風が吹いているといわれてきましたが、それが目に見える形になっている。 6月中旬には、秋篠宮ご夫妻は東京国立博物館で開催されている沖縄にまつわる特別展『琉球』に足を運ばれる予定です。天皇皇后両陛下も、上皇ご夫妻も足を運ばれました。皇室と沖縄の関係を考えれば当然の公務と言っていい。ただ違和感を覚えたのは、ここでも佳子さまはご夫妻とお出ましにならないこと。そして、悠仁さまも帯同なさらないことです」(前出・皇室記者) 先の戦争が、国民と皇室に与えた影響は大きい。紀子さまはこれまでに、2013年の沖縄訪問や、広島の平和記念公園、戦時中の資料を展示する「昭和館」(東京・千代田区)の観覧に悠仁さまをお連れになっていた。しかし、今回の『琉球』の観覧にはお連れにならない。「小室圭さんは、7月に3回目となるニューヨーク州の司法試験に挑みます。眞子さんの結婚を巡って秋篠宮家への逆風は収まっていません。加えて、悠仁さまの高校進学にまつわる疑念の声もある。紀子さまとしては、“悠仁さまのご評判”を気にされ過剰に注目されることを避けられているようにも思われます」(宮内庁関係者) 悠仁さまや佳子さまが公の場に姿を現し、“ご活躍”が伝えられるようになることを願ってやまない。※女性セブン2022年6月30日号
2022.06.18 07:00
女性セブン
(撮影/JMPA)
上皇ご夫妻、1年7か月ぶりにおふたりそろって外出 「愛の手つなぎ」お姿
 上皇陛下の一歩後ろを歩かれる美智子さま。館内へと入られるときには、そっと陛下のお手を取り、優しくつながれていた──上皇ご夫妻は6月9日、東京国立博物館で開かれた、沖縄復帰50年を記念する特別展『琉球』を鑑賞された。その日のお姿は、いまも互いに支えあわれていることが感じとれるものだった。そんな「愛の手つなぎ」を写真で振り返る。 今回の展覧会ご鑑賞は、上皇陛下にお疲れの様子がみられるという理由から、6月2日の予定から9日に延期されたものだった。そんな陛下のご体調を思いやるように美智子さまは陛下の手を取られ、約40分間、じっくりと展示を見てまわられた。 ご到着の際にはひとり歩かれる陛下を見守る美智子さまだったが、館内へと入られるのにあわせ、そっと陛下の腕に手を添えて歩かれていた。 ご夫妻が皇居や御用邸以外にそろって外出されるのは、2020年10月末の明治神宮参拝以来と実に1年7か月ぶり。上皇陛下は「これはいつ頃ですか」などと展示について熱心に質問され、たびたび「沖縄は戦争があったけれど、よく残っていましたね」と述べられていた。撮影/雑誌協会代表取材※女性セブン2022年6月30日号
2022.06.17 11:00
女性セブン
悠仁さまは共学の筑附でハド部に入った
悠仁さま 夏本番を前に「冷房を」と学校関係者にお求めか ほかの生徒も驚く
 今年4月から筑波大学附属高校(筑附高)に通われている悠仁さま。同校では6月4日、年に1度の大きなスポーツイベントが行われた。筑附高と、学習院高等科・学習院女子高等科との間で行われている、体育会系の部活動の伝統的な対抗戦だ。野球やサッカー、テニス、柔道、剣道などの試合が行われた。「例年であれば、当該の部活動の生徒は試合に臨み、そうでない生徒は各校を自由に行き来しながら声援を送ります。ところが、今年はコロナ禍ということもあり、試合のある部活動に所属していない生徒は、登校の必要がなかった」(筑波関係者) 悠仁さまもまた、学校にお姿をお見せになることはなかった。「悠仁さまは、バドミントン部に入部されました。中学時代は卓球部でしたので、シフトチェンジしたようです。どうやらバドミントン部を選択されたのは、“学習院との対抗戦がないから”という理由だったようです」(前出・筑波関係者) 秋篠宮家と学習院の深い溝はしばしば報じられてきた。そもそも学習院は「皇族のための学校」だ。天皇陛下も秋篠宮さまも、幼稚園から大学まで学習院で学ばれた。しかし、お子さま方の自由意志を尊重する教育方針の秋篠宮家では、長女・眞子さんが学習院女子高等科から国際基督教大学(ICU)に進み、次女・佳子さまも一度は学習院大学に進学されながらも中途退学してICUに再入学された。 悠仁さまにいたっては、幼稚園からお茶の水女子大附属を選ばれ、これまでに学習院とは一切のかかわりを持たれていない。対抗戦で「学習院と戦う」という事態を回避されたかったのだろう。「悠仁さまは今後の高校生活を充実させるチャンスをふいにされたかもしれません。筑附高は大半が附属中学校からのエスカレーター組で、悠仁さまのように高校からの入学組は少数派。学校行事はクラスメートと交流をはかり、親睦を深める絶好の機会だったのですが……」(前出・筑波関係者) 筑附高入学に際しても、悠仁さまが利用された『提携校進学制度』には、「特別扱いではないか」という声が聞かれた。加えて、入学前には、過去に文学賞を受賞された作文に「コピペ疑惑」が持ち上がったこともあった。「それだけに周囲に溶け込めるか心配だったのですが……。つい先日ですが、学校関係者に対して、悠仁さまが“暑いから冷房を入れてください”と求められたことがあったそうです。まだまだ夏本番とはいえませんから、学校関係者もやんわりと諭して断ったようですが、お考えをはっきり表明される悠仁さまに、ほかの生徒も驚いたといいます」(前出・筑波関係者) 一方、悠仁さまの教育に並々ならぬ力を入れられてきた紀子さまは、「保護者会に参加されたが、特に発言などはされなかった」(別の筑波関係者)という。※女性セブン2022年6月30日号
2022.06.17 07:00
女性セブン
成年会見以降、表立ったご活動をされていない(2021年12月、東京・千代田区。写真/宮内庁提供)
愛子さま“雲隠れ”の背景に悠仁さまの存在 宮内庁は「愛子天皇待望論」再燃を危惧か
「皇后雅子さまだけでなく、天皇陛下や愛子さまもご一緒に『養蚕』の作業を行われたことを、担当記者たちは事後に知らされたそうです。すこぶる天気のいい日で、ご一家が揃われたのであれば、それは微笑ましい雰囲気であったと推察されますが、なぜかこっそりと密やかに行われました」(皇室ジャーナリスト) 6月1日、皇居のほぼ中心にある紅葉山御養蚕所。ここで蚕に桑の葉を食べさせる「御給桑」が行われた。御養蚕は歴代の皇后に受け継がれてきたものだ。この日は愛子さまのご希望もあって、ご一家での作業となったという。「特に注目されたのは、愛子さまのご動静でした。昨年12月の成人後、愛子さまが公の場に出られたのは3月の成年会見だけ。成年のご報告のための伊勢神宮(三重県伊勢市)や昭和天皇陵(東京・八王子市)などへの参拝も済まされていません。担当記者らは、御養蚕は愛子さまが活動される貴重な機会だったと色めき立ち、“せめて養蚕の作業をされているお姿の写真を公開してほしい”と宮内庁にリクエストしたのです」(前出・皇室ジャーナリスト) 美智子さまや雅子さまが養蚕の作業をされる場面は、宮内庁側が写真に収め、新聞やテレビメディアを通じて広く世間に伝えられてきた。今年の御養蚕でも、もちろんそのご様子が発表されると思われたのだが──。「結局、そのときの愛子さまのお写真は公開されませんでした。なぜ頑なに愛子さまのご活動が伝えられないのか。学業優先はよくわかりますが、まるで“お姿を隠されている”ようにすら感じます」(前出・皇室ジャーナリスト) 愛子さまは現在、学習院大学の3年生だ。学習院大学ではすでに対面での授業が再開されているが、愛子さまは新型コロナの感染対策のため、すべての授業をオンラインで受講されている。「新規感染者数は減少傾向ですが、“万が一にも自分が外からウイルスを持ち帰り、両陛下に感染させてはいけない”というお考えから、おこもり生活を続けられています。とはいえ、ずっとお部屋にというわけにもいきませんから、職員らとバドミントンをされるなどして体を動かし、気持ちをリフレッシュさせていらっしゃいます」(皇室記者) 前述の通り、愛子さまが公に姿をお見せになったのは、3月の成年会見が最後だ。以降、御養蚕もしかり、愛子さまのお出ましの可能性がなかったわけではない。アメリカのバイデン大統領の訪日もそうだ。5月23日、バイデン氏は皇居・御所を訪れて天皇陛下と会見をした。「夫人を伴わない訪日だっただけに、慣例的にも陛下がおひとりで対応されました。一方で、かつてアメリカで生活され外交官としても活躍された雅子さまや、高校時代の短期留学を通して海外へのご興味を抱かれ、英語力もめざましくいらっしゃる愛子さまが、バイデン氏へのご挨拶にお姿を見せられるのではないかと囁かれました。しかし、実現はしませんでした」(前出・皇室記者) 通学の必要がない分、オンラインでの授業は時間的な猶予を持ちやすい。それでも、愛子さまはバイデン氏への挨拶に姿を見せられることはなく、御養蚕のお姿の公開も避けられた。 たしかに、皇室の暗黙の了解として「学生のうちは学業が優先」というものはある。だが、皇族の絶対数が減少し、公務の担い手が限られる中で、愛子さまのご活躍への期待は自然に膨らんでいる。「宮内庁にとっても、愛子さまの“不在”は本意ではないでしょう。成年関連行事、成年会見でのお姿から明らかなように、愛子さまには皇族としての威厳や風格がすでに備わっています。コロナ禍で国民と直接対話をするのが難しくなっている皇室にとって、愛子さまの露出は欠かせません」(宮内庁関係者) しかしそれに反して、愛子さまの“雲隠れ”の時期が続いているのはなぜか──その背景には、これからの皇室を一緒に担われる、悠仁さまの存在があるようだ。国民を二分する議論は避けなければならない 昨年12月、安定的な皇位継承の在り方を検討してきた政府の有識者会議は、最終報告書で悠仁さまが皇位を継承するまでの流れを「ゆるがせにしてはならない」と結論づけた。つまり、将来の天皇は現在の皇室典範に則って悠仁さまである。翻せば、女子である愛子さまに即位の可能性はない。 しかし、国民の間には「愛子天皇」を望む声が多いことは事実だ。成年会見以前に行われた各種世論調査では、国民の約8割が「女性天皇」を容認している。前出の宮内庁関係者は「宮内庁は、愛子さまのご活躍に期待する一方で、『愛子天皇待望論』の再燃を危惧している」と話す。「愛子さまが公務やお出ましでご立派な姿を見せられ、活躍されればされるほど、国民から高い支持を得ることになるでしょう。そうなることは、成年に際する一連の愛子さまのお姿を見れば自明です。すると、相対的に悠仁さまの存在感が薄まってしまう。 その状況がエスカレートすると、将来の天皇は悠仁さまと決まっているにもかかわらず、『愛子さまと悠仁さまのどちらが将来の天皇にふさわしいか』という議論に発展しかねません。皇室、ひいては国民を二分する議論は避けなければならない。 そのお考えは、陛下も雅子さまも同様のはずです。そのため、愛子さまのお姿が極端に“見えない”状態が続いているのでしょう」(前出・宮内庁関係者) お二方の“ご活躍”が、広く伝えられるときが一日も早くやってくることを願ってやまない。※女性セブン2022年6月30日号
2022.06.16 07:00
女性セブン
(撮影/JMPA)
天皇皇后両陛下、全国植樹祭にオンラインで臨席 豊かな緑への願いがこもった1日
 両陛下にとって「四大行幸啓」と呼ばれる主要行事の1つである「全国植樹祭」に、天皇皇后両陛下がオンラインで臨席された。森林に対する愛情を培うことを目的にした行事で、天皇陛下は「実り多い学校生活を送ってください」と参加した小学生にお声がけされた。6月5日、豊かな緑への願いがこもった一日を写真でプレーバックする。 昨年に引き続き式典はオンライン開催。滋賀県甲賀市の会場と皇居・御所が中継で結ばれた。赤坂御所からのお引っ越し後、両陛下が御所の玄関から行事に出席されるのは初めてのことだった。 式典でお言葉を述べられる陛下。「健全な森林を育み、(中略)次の世代、またその次の世代へと引き継いでいくことは、私たちの果たすべき大切な使命」と思いを明かされた。 両陛下が手ずから種の「お手播き」をされた。参加した小学生のアナウンスに合わせて、滋賀から運ばれたクロマツなどの種をプランターに植えられた。 両陛下自らクワを握り、苗木を植えられることも。天皇陛下は滋賀県北部の巨木林で有名な「トチノキ」など、雅子さまは滋賀県の県の木である「イロハモミジ」などを植えられた。 式典の終盤には現地会場で地元団体らによるパフォーマンスが実施。両陛下は会場の人たちに合わせて黄色いハンカチを振りながら、目を細めてご覧になっていた。 式典を終えた後には、植樹祭や緑化啓発のポスター原画コンクールの入賞作品を鑑賞され、制作した児童らとオンラインで懇談された。雅子さまは「力強くて躍動感がありますね」と声をかけられたという。撮影/雑誌協会代表取材、時事通信社 写真/宮内庁提供※女性セブン2022年6月23日号
2022.06.11 07:00
女性セブン
小学生の頃、生物クラブに所属されていた雅子さま(2021年5月、東京・千代田区。写真提供/宮内庁)
愛子さま“雅子さまの重責”をお手伝い 養蚕で見えた公務へのご覚悟
 生糸の生産に不可欠な蚕のなかでも、ひときわ細く質の高い生糸を吐き出す種「小石丸」。純国産の蚕で、病弱で飼育が難しいとされる。しかし、若葉が萌える皇居では、今日も小石丸が生命を紡ぎ、伝統をつないでいる。 皇后雅子さまが6月1日、皇居内にある「紅葉山御養蚕所」で、蚕に桑の葉を与える「御給桑」に臨まれた。「前日の5月31日に行われる予定でしたが、雅子さまのご体調が整わず、翌日に持ち越されました。その日は体調面にも問題がなかったようで、長時間にわたって作業をされました」(皇室記者) 皇室と養蚕の関係は、古くは日本書紀に記述があるとされる。現在のように皇居内で飼育が行われるようになったのは、明治天皇の皇后である昭憲皇太后が伝統的な養蚕の手法を取り入れてから。以来「皇后の務め」として引き継がれてきた。皇后手ずから生み出される最上級の生糸は、文化財の補修などに用いられている。雅子さまが養蚕に本格的に携わられるようになったのは、2018年のことだった。「それまでは、上皇后美智子さまが担われていました。秋篠宮家の紀子さまや眞子さんが、御養蚕所で一緒に作業されたことがあったのに対し、雅子さまにはそうした機会がなかったため、“雅子さまは蚕が苦手なのでは”と囁かれたこともありました。実際のところは、“養蚕は皇后の仕事であり、皇太子妃が積極的にかかわるものではない”というお考えから、遠慮されていたようです」(前出・皇室記者) それから4年が経ち、この初夏には慣れた手つきで作業をされた雅子さまのお隣には、天皇陛下と愛子さまのお姿もあった。「愛子さまは、小学生の頃に学校で配布された卵から蚕を育てられ、いまもお住まいで飼育を続けられています。ただ、御養蚕所でのお手伝いはされたことがなかった。その日は、愛子さまのたってのご希望もあり、ご一家での作業となりました」(前出・皇室記者) 昨年12月に成年皇族の仲間入りを果たされた愛子さまは、現在、学習院大学の3年生だ。学生のうちは学業に専念される予定で、卒業以降、本格的に公務にお出ましになることが期待されている。一方、将来の公務の担い手が減少してしまうことは火を見るより明らかで、「結婚後の女性皇族のお立場」についての議論が進められている。「愛子さまへの期待は膨らむばかりで、結論によっては、愛子さまは生涯にわたり公務を担われる可能性もあります。今回、愛子さまは皇后の務めである養蚕の作業を行われました。雅子さまのその重責をご一緒に背負われることで、愛子さまは公務へのご覚悟を新たにされたのではないでしょうか」(前出・皇室記者) 精力的に務めを果たされている雅子さまだが、まだまだ療養中の身だ。雅子さまの務めを支えられることで、愛子さまは母と娘の絆を感じられながら、皇族としての役割を身をもって学ばれている。※女性セブン2022年6月23日号
2022.06.10 07:00
女性セブン
眞子さんは美智子さまの米寿のお祝いに合わせて帰ってくる可能性(写真は4月の眞子さん)
眞子さん「美智子さま米寿のお祝い」で秋篠宮ご夫妻への“禊ぎの里帰り”か
「目に入れても痛くない」という言葉は、美智子さまにとっての眞子さんにも当てはまるだろう。だからこそ、逆風の中で皇室を離れ、慌ただしく海の向こうに渡った孫娘との再会を望まれているのは想像に難くない。美智子さまの慶祝の日は、そんな眞子さんにとって、“里帰りの切符”になるかもしれない。 ニューヨークの美の殿堂・メトロポリタン美術館(MET)で、6月7日から、日本の「着物」を中心に据えた企画展示が始まった。「ニューヨーク在住のアメリカ人コレクターの、江戸後期から昭和にかけての貴重なコレクションが約60点展示されています。アメリカでは東洋、特に日本の伝統文化への関心が高く、METでも定期的に日本の美術品に関する企画展示が行われています」(米在住ジャーナリスト) METには、秋篠宮家の長女・眞子さんが、無報酬のボランティアスタッフとして勤務している。「眞子さんは、今後そうした日本文化に関連する企画展示に『キュレーター』として携わっていくようです。キュレーターとは、美術品に関する資料収集や保管、展示、調査研究などを行う専門職。METのキュレーターといえば世界中の学芸員の憧れの職業です。“日本文化を世界に発信していきたい”という希望を持っている眞子さんにとっては、この上なくやりがいのある仕事でしょう」(前出・米在住ジャーナリスト) 得意分野での活躍が期待される眞子さんに対して、夫の小室圭さんにも別の注目が集まっている。7月に「3度目のチャレンジ」を明言しているニューヨーク州の司法試験が控えているのだ。 今年2月の「2度目のチャレンジ」は、かつて日本で勤務していた法律事務所の代表に明かした通りであれば、「5点不足」で不合格だった小室さん。“三度目の正直”とするためにも、仕事の合間を縫って猛勉強をしているだろう。大聖堂に響いたブーイング 眞子さんと小室さんは昨年11月、まるで国外脱出の様相でニューヨークに渡った。世界に目を向ければ、同じようにロイヤルファミリーから離脱し、母国からも離れて暮らす「元ロイヤル」はほかにもいる。 2020年3月いっぱいで英王室を離脱した、ヘンリー王子とその妻・メーガンさん。ダイアナ元妃の次男で、エリザベス女王の孫であるヘンリー王子は、2018年にメーガンさんと結婚。当初は王族として公務を担っていたが、離脱を機にカナダに拠点を移し、その後は米カリフォルニアに構えた豪邸で生活している。 ヘンリー王子側は、王室離脱の背景には、王室内でメーガンさんに対する人種差別的発言があったからだとしていますが、王室側はそれを否定しています。いずれにせよ、女王の孫が王族であることを自ら辞め、母国を離れて暮らすのは極めて珍しい。イギリスでは夫妻の行動に批判の声が集まりました。その余波はいまも続いています」(英王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さん) アメリカへ渡って以降、テレビの長時間インタビューで自説を展開して王室を批判、暴露本出版にもかかわるなど、ヘンリー王子夫妻は王室を刺激し続けた。「結婚の際は英王室に新しい風が吹いたとしてとても歓迎されていました。しかし、出て行くだけならまだしも、後ろ足で砂をかけるような行為には、王室メンバーも辟易していると報じられました」(前出・多賀さん) 当然ながら、その後のヘンリー王子夫妻と英王室の関係は良好とは言い難い。2021年の4月と7月に、ヘンリー王子は単身でイギリスに“里帰り”をした。祖父であるフィリップ殿下の葬儀に参列するためと、母・ダイアナ元妃の銅像の除幕式に出席するためだった。しかし、帰国時の警備体制と費用を巡って英政府への訴訟を起こすなど、そこでもまたトラブルが絶えなかった。「現在、ヘンリー王子の態度を支持している英国民は全体の3割程度。メーガンさんに至っては4人に1人すら支持していません。“ヘンリー王子はまだしも、メーガンさんはもう二度とイギリスの地は踏めない”というのが、英国民の大多数の意見でした」(前出・多賀さん) ところが6月3日、ヘンリー王子とメーガンさんが、揃って英国民の前に姿を見せた。英ロンドンのセントポール大聖堂で開かれた、エリザベス女王の在位70年を祝う礼拝の場だった。「この出席について、国民の意見は二分され大騒動になりました。大聖堂には歓声も上がりましたが、大きなブーイングも響き渡りました。“王室を出て行ったふたりが、なぜ出席するのか”との批判が集まったんです。 ただ、エリザベス女王は国民の8割近くから支持されている人気者です。その上、前もって夫妻の礼拝への出席を快く認めていた。エリザベス女王の“イエス”は、水戸黄門の印籠みたいなものだと思っていいわけです。お祝いの席という“大義名分”に、批判の声が抑え込まれた格好です」(前出・多賀さん) 夫婦が揃って再び家族の集いに参加できたのは、エリザベス女王という絶対的な存在があったからなのだ。秋篠宮ご夫妻との対話の場にも 翻って、日本の皇室を出てアメリカで暮らす小室さん夫婦と、祖母である上皇后美智子さまの関係はどうだろうか。 4月下旬、美智子さまは上皇陛下とともに、赤坂御用地(港区)内の仙洞御所へ引っ越された。手狭だった仙洞仮御所(港区)では思うようにできなかった散策も再開され、ゆったりとした時間を過ごされている。 しかし、美智子さまの心配は尽きない。1つは上皇陛下のご体調だ。上皇ご夫妻は6月2日、東京国立博物館(台東区)で開催中の沖縄復帰50年記念特別展『琉球』にお出ましの予定だった。「ところが、前日に延期が発表されました。上皇さまにお疲れの様子が見られたことが理由です。延期発表当日は、日課の散策も見合わせられたそうです。この展示会へは天皇皇后両陛下も足を運ばれていますし、上皇ご夫妻にとっても沖縄はゆかりある地です。できることなら予定通りに足を運びたかったという思いは強くお持ちでしょう」(皇室記者) 体調面では、美智子さまご自身も不安を抱えられている。仙洞仮御所へ移られた前後にコロナ禍になり、自由に外出できない日々が始まった。美智子さまは指のこわばりや原因不明の微熱に襲われ、趣味のピアノを弾くこともままならない時期もあったという。そうした中で、美智子さまは10月20日に88才の誕生日を迎えられる。「米寿」にあたる節目の誕生日だ。「コロナ禍以降、皇室においても誕生日のお祝いなど人が集まる場は厳に自粛されてきました。しかし、新規感染者数が少ない状況が続いており、天皇陛下やほかの皇族方の外出公務の機会も徐々に設けられつつあります。 コロナ禍以前のような大々的なお祝い行事は難しくても、お身内だけのお祝いの場はあってもおかしくありません。その機に合わせて、眞子さんが“里帰り”する可能性が囁かれています」(皇室ジャーナリスト) 慶事と絡めた眞子さんの帰国は、実は6月上旬にも噂されていた。「6月4日、三笠宮家の百合子さまが『白寿』の誕生日を迎えられました。明治以降の女性皇族としては、99才を迎えられるのは最高齢で、そのお祝いに眞子さんが帰国して参加するのでは、といわれていたのです。ちょうど、小室さんのビザが切れるとされるタイミングとも重なっていました。 しかし実現しなかった。背景にはコロナ禍はもちろん、いまだに小室さん夫婦への逆風が吹く世間の声への配慮があったようです」(前出・皇室ジャーナリスト) 眞子さんから見て、百合子さまは「曽祖父の義理の妹」だ。一方、美智子さまは「祖母」にあたる。関係性は大きく異なる。加えて、美智子さまにとって眞子さんは「初孫」だ。注がれてきた愛情には格別のものがある。《春の光 溢るる野辺の 柔かき 草生の上に みどり児を置く》 眞子さん誕生の翌年、当時皇后だった美智子さまは、初孫誕生の喜びをそう歌に表現された。愛情の深さは、いずれは嫁いで皇室を出る将来も見据え、ユニークな形を取ることもあったという。「眞子さんが小学生の頃のことです。美智子さまの発案で、内廷皇族の食事を取り仕切る宮内庁大膳課が、のれんやカウンターをしつらえた即席の“寿司店”を作ったことがありました。お客さんは、現在の上皇ご夫妻や秋篠宮ご一家です。美智子さまは、将来外食する際に戸惑わないよう、注文の仕方などを学ばせようと考えられたのです。 美智子さまは、紀宮さま(黒田清子さん)にも同様の教育を授けられたことがあります。つまり、眞子さんにわが子のように接してこられたのです」(別の皇室ジャーナリスト) いかなる環境におかれても、不自由のないように──そうした気遣いを欠かさなかった祖母を祝うために、眞子さんが遠路はるばる駆けつけることになるのだ。「一時金を辞退し、結婚にまつわる行事を行わなかったとはいえ、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルへの説明不足や、一方的な文書発表に終始した会見など、国民の中にはいまだ小室さん夫婦に対する懐疑的な意見は多くあります。 さらに、秋篠宮さまと懇意のジャーナリストが5月に出版した著書で、秋篠宮さまご自身の率直な気持ちが明かされました。娘の幸せを願う一方、戸惑いがあったことも赤裸々に綴られています。 この先、美智子さまと眞子さんが、二度とお会いになれない未来があってはなりません。しかし、残された時間が無限にあるわけではない。美智子さまのお祝いのためであれば、世論の手前、眞子さんが帰国する“大義名分”が立ちます。ヘンリー王子のように、小室さんを伴わない帰国であれば、いくぶんか逆風も弱まるでしょう。さらに、秋篠宮ご夫妻との対話の場が持てれば、“禊ぎの里帰り”にもなり得るのではないか」(前出・皇室ジャーナリスト)エリザベス女王と美智子さまとの立場の違い すでに成人を迎えている秋篠宮家の次女・佳子さまや、天皇家の長女・愛子さまのご結婚も、そう遠くない未来かもしれない。眞子さんの結婚の余波が残り続けている状況は、好ましいとは言えないだろう。美智子さまの米寿は、そういった印象を払拭する数少ない好機と言える。 しかし、英王室のようには事は進まなさそうだ。その要因は、エリザベス女王と美智子さまとの立場の違いにある。「英王室においては、エリザベス女王が『君主』です。一方、現在の皇室の“長”は天皇陛下です。陛下は眞子さんの結婚に際しての儀式の1つである『朝見の儀』を、自らの判断で行わなかったことを、今年2月の誕生日会見で明言されました。この意味は重い。皇室として、“ふたりの結婚が歓迎される状況にならなかった”とおっしゃったも同然だからです。 美智子さまの米寿は、お身内にとってのお祝い事です。しかし、宮内庁がまったくかかわらないというものではありません。プライベートのことではあっても、公的な要素を切り離すことはできないのです。そうした場に眞子さんを招くには、大きなハードルが残されていると言えます。少なくとも、陛下がその“お許し”を出すわけにはいかない。だからこそ、美智子さまの“お気持ち”がもつ意味は大きいのです」(宮内庁関係者) 美智子さまが米寿を迎えられる日、眞子さんはどこでどのように過ごすのだろうか。※女性セブン2022年6月23日号
2022.06.09 07:00
女性セブン
雅子さま、ご自身の“皇后スタイル”固まり「あとは愛子さまだけ」のお気持ちに
雅子さま、ご自身の“皇后スタイル”固まり「あとは愛子さまだけ」のお気持ちに
「雅子さんのことは、ぼくが一生全力でお守りしますから」。天皇陛下の、雅子さまへのプロポーズのお言葉である。6月9日、両陛下は29回目の結婚記念日を迎えられ、結婚生活は30年目に入る。 両陛下の、お互いを慈しみ、尊重し合う姿勢は、当時からまるで変わっていない。ご体調が心配される雅子さまも、このところ、外出を伴う公務に続けて出席されるなど、順調に快復へ向かわれていることが感じられる。 5月19日には、名誉総裁を務められる全国赤十字大会へ臨席された。その壇上で、ちょっとしたハプニングが起きていた。「日赤の事業に貢献した人に、雅子さまが有功章を授与されたときのことです。受章者の礼を待たずに雅子さまが有功章をお渡しになりそうなシーンがありました。以前の雅子さまでしたら、そうした“ミス”を深刻に捉えすぎてしまう面がありました。しかし、周囲の心配をよそに、今回は動揺したご様子は見られませんでした」(宮内庁関係者) 雅子さまが歩まれてきた道のりは、決して平坦ではなかった。「ハーバード大学卒業、外務省勤務という華々しい経歴に注目が集まりました。成婚後すぐの中東訪問では、女性王族の集まりで、通訳なしで会話を弾ませるなど、雅子さまにしかなしえない国際親善の力を遺憾なく発揮された。 一方で、ご自身の言葉で話され、時には口を開けて表情豊かに笑われたり、感極まって涙をこぼされたりする姿が“皇太子妃らしくない”とバッシングされたこともありました」(皇室記者) そうした否定的な意見や、お世継ぎ問題にさらされ、2004年、雅子さまは長い療養を余儀なくされることとなった。 しかし、2019年に皇后というお立場になられ、雅子さまは自信を取り戻されつつある。「きっかけは、2019年11月の、即位祝賀パレードでしょう。雅子さまはそれまで、思うように公務ができないことに苦しまれていたといいます。しかしその日、たくさんの歓声を浴びて、想像よりも多くの国民から好意的に受け入れられていると気づき、驚かれたそうです。流れる涙を白い手袋でぬぐわれるシーンもありました」(前出・皇室記者) 即位関連行事での海外要人の接遇や、コロナ禍でのオンライン公務などを通じて、雅子さま流の“皇后スタイル”が固まるにつれ、雅子さまは再び、表情豊かに活躍されようとしている。 そんな雅子さまが、目下気にかけ、焦燥されているのが、愛子さまの今後だという。 愛子さまは昨年12月に20才の誕生日を迎えられてから、いくつもの行事を立派にこなされてきた。「愛子さまが成年行事で見せられたローブ・デコルテ姿、また、成年会見での、ユーモアも交えた初々しくも堂々としたお話しぶりは、周囲の期待を遥かに上回るものでした。 滑り出しは順調そのものです。両陛下は、愛子さまには、どのような公務で本格的な皇族のご活動のデビューを飾らせるかに思いを巡らせていらっしゃるようです。両陛下のお気持ちとしては“あとは愛子さまだけ”といったところでしょう」(前出・宮内庁関係者) 愛子さまが成年皇族として独り立ちされれば、雅子さまの皇后としてのご活動は、ますます充実するだろう。「将来的には、天皇家のお三方でのご活動はもちろん、陛下と愛子さま、雅子さまと愛子さまという取り合わせでのご活動もあるかもしれません」(前出・皇室記者)「令和の天皇家」が、新たなステップに進まれようとしている。※女性セブン2022年6月16日号
2022.06.06 07:00
女性セブン
ご結婚29年を迎えられる天皇皇后両陛下 絆を結んだ「24の愛のお言葉」
ご結婚29年を迎えられる天皇皇后両陛下 絆を結んだ「24の愛のお言葉」
 6月9日に、ご結婚から29年を迎えられる天皇皇后両陛下。ご婚約会見での、「安らぎのある明るい家庭を築いていきたい」という陛下(当時は皇太子)のお言葉通りの家庭を築かれてきた。 ご結婚25年の折には、「家族とは日々の楽しみを分かち合うことは元より、大変なことがあるときには支え合い、またうれしいことがあるときには喜びを分かち合える、かけがえのない存在であると思います」と明かされた雅子さま。いかなるときも常に支え合って歩まれてきたご夫婦の愛と絆の29年を、数々のお言葉から紐解きます。ご公務への想い「限られた時間の中でできるだけ多くのことを一人ひとりの方から引き出していくことができれば、それは最終的には私自身にとっても大変大きな糧となると思っております」(2014年 皇太子殿下お誕生日に際して)「なるべく多くの方と自然な形で触れ合い、お話をすることができればうれしく思います」(1999年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「私たち二人を温かい笑顔でお迎えいただいたことはとてもうれしく、また雅子にとっても大きな励みともなり、有り難く思います」(2018年 皇太子殿下お誕生日に際して)「皆様からかけていただいた声を身近に感じることも多く、国民の皆様のお気持ちは私にとりまして大きな支えになっております」(2018年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「多くの国民の皆さんと直接触れ合うことが 極めて難しくなっていることを、私たち二人も 残念に思っております」(2021年 天皇陛下お誕生日に際して)ご夫婦の絆「私たち二人の場合、できるだけお互い話し合うことにしております」(1999年 皇太子殿下お誕生日に際して)「全力で守っているかどうかということに関しては、私ができることでは、全力でこれを実行しているように思っております」(1994年 皇太子殿下お誕生日に際して)「日常の生活では皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談をするようにということを心掛けております」(1996年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「よく『夫婦喧嘩は犬も食わぬ』と申しますけれども、喧嘩の種は割とよく拾って食べてくれるような気がいたします」(1998年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「実は犬の方がより良くお供をして。犬はちゃんと走ってお供をするのですけれども、私は自転車でお供をしたり……」(1997年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「共通の関心事を持つことが夫婦の絆を強めることにも貢献しているのではないかというふうにも思います」(1999年 皇太子殿下お誕生日に際して)「愛子が加わります前には殿下とごいっしょして、二人での登山や自然の中での散策、音楽などいろいろな楽しみを教えていただきました」(2018年 ご結婚満25年に際して)「感謝したい点は、まず雅子がそこにいてくれることです。雅子がいてくれるだけで心が明るくなるのを感じます。ユーモアがあるのもうれしいことです」(2003年 ご成婚10年に際して)「お互いによく話し合い、また、大変な時にも『笑い』を生活の中で忘れないように、ということだと思います」(2018年 ご結婚満25年に際して)「結婚10年の折の『努力賞』と『感謝状』のダブル 受賞に加えて、銀婚式に因んで銀メダルも 贈りたいと思います」(2018年 ご結婚満25年に際して)「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」(2004年 デンマーク・ポルトガル・スペイン訪問に際して)「親として愛子のために何をしてあげられるのかという思いで、雅子と共に考え、歩んできました」(2011年 皇太子さまお誕生日に際して)「愛子が安心して学校に通うことができるようになるか、そのために親として何をしてあげられるのか日々考え、力を尽くしてまいりました」(2011年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)お二人での育児「本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」(2002年 愛子内親王ご誕生について)「おおらかな性格といいますか、皇太子さまに似ましたのか、何ていうのかしら、ゆったりと、どっしりとしております」(2002年 皇太子妃殿下お誕生日に際して)「父親は遊んでくれる相手と信じているようで、父親が寝かしつけようとするとどんどん目が輝いてきてしまうようなので」(2002年 愛子内親王1才のお誕生日に際して)「父親もできるだけ育児に参加することは母親の育児の負担を軽くすることのみならず、子供との触れ合いを深める上でもとても良いことだと思います」(2003年 皇太子殿下お誕生日に際して)「本当に素晴らしいお父様ぶりで、愛子も皇太子さまに大変なついております」(2003年 ご成婚10年に際して)「愛子と3人でいると、私たちの団らんは笑いの絶えない楽しいものになっています」(2022年 天皇陛下お誕生日に際して)撮影/雑誌協会代表取材、五十嵐美弥 写真/宮内庁提供、時事通信社、共同通信社※女性セブン2022年6月16日号
2022.06.02 19:00
女性セブン
雅子さまと紀子さまの共演
雅子さまと紀子さま「全国赤十字大会」にご出席 3年ぶりに妃殿下方がお揃い
 雅子さまは透け感を取り入れた白と紺の装いで、紀子さまはミントグリーンのセットアップ。5月19日、3年ぶりの開催となった「全国赤十字大会」に雅子さまと紀子さま、信子さま、久子さまら妃殿下方が出席された。「雅子さまは名誉総裁、紀子さまは名誉副総裁としてのご登壇でした。雅子さまは名誉総裁に就任されてから、2回目となるご出席。最初は緊張の色も見えましたが、終始笑顔で取り組んでおられました。一方、紀子さまは雅子さまが欠席された15年間を“皆勤賞”です。美智子さまゆずりのさすがの落ち着きを見せられていました」(皇室記者) 笑顔と落ち着き。服の色だけでない、それぞれの“カラー”が見えた公務だった。撮影/雑誌協会代表取材※女性セブン2022年6月9日号
2022.05.26 19:00
女性セブン
作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)
【逆説の日本史】「大逆事件」に際して政府の暴虐を遠慮無く糾弾した徳冨蘆花の勇気
 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立III」、「国際連盟への道 その9」をお届けする(第1342回)。 * * * 日本国中があげて幸徳秋水「一味」を厳しく糾弾するなかで、唯一人敢然と立ち上がり彼らを弁護した蘆花・徳冨健次郎とはいかなる人物か? 本業は小説家である。一八六八年(明治元)、肥後国水俣(現、熊本県水俣市)で生まれた。徳富家は地元郷士の家柄で、五歳年上の兄に明治を代表するジャーナリストにして歴史家、『國民新聞』の創刊者にして『近世日本国民史』の著者である、蘇峰・徳富猪一郎がいた。蘆花は優秀な兄蘇峰に「『負け犬』意識があり、徳富の富を兄とは異なる『冨』の字で生涯通した」(『朝日日本歴史人物事典』)という。「蘆花」は「アシの花(穂)」で「見栄えのしない花」という意味だが、これも兄蘇峰(故郷熊本が世界に誇る名峰阿蘇山にちなむ)へのコンプレックスというか、対抗意識に由来するのだろう。その兄の影響で洗礼を受けてキリスト教徒になり、京都の同志社で学んだ。この間、NHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公、新島八重の兄、山本覚馬の娘、久栄と恋仲になったが、周囲の反対で別れを余儀無くされた。蘆花の作品『黒い眼と茶色の目』は、この間の事情を小説にしたものである。 この挫折を蘆花は、ロシアの文豪レフ・トルストイの作品に傾倒することによって乗り越えたようだ。兄蘇峰も弟蘆花も、ロシアに渡航しトルストイ本人に会っている。蘇峰は有名人に会ってみたという程度だったが、蘆花は数日間滞在し大きな影響を受けた。そして、帰国後は東京郊外多摩郡千歳村粕谷(現、東京都世田谷区粕谷1丁目)に転居し、当時は武蔵野の面影を深く残していた自宅周辺を「恒春園」と命名し、トルストイを見習った晴耕雨読の生活を送った。 現在は旧宅が寄贈され周辺が「蘆花恒春園」と呼ばれ蘆花記念館も併設され、一帯が芦花公園になっている。ちなみに、どうでもいい話だが筆者はこのすぐ近くにある東京都立芦花高校の出身ということに「なっている」。「なっている」というのは、たしかにこの場所にある高校に筆者は三年間通学したのだが、当時は東京都立千歳高校といった。のちに少子化による高校統廃合で芦花高校に改名されたのである。不思議な縁と言うべきか。 小説家としての蘆花の最大のヒット作は、『不如帰』であろう。『國民新聞』に連載された後に出版され、大ベストセラーになった。結核(当時は不治の病)に冒された美貌の女性、片岡浪子が主人公の悲劇で、「千年も万年も生きたいわ」の名ゼリフが一世を風靡した。ただ、この小説のなかで主人公の義母(父親の後妻)のモデルと目されたのが西郷隆盛のイトコ大山巌の夫人、捨松(旧姓山川)であり、きわめて意地の悪い女として描写されているのだが、それは一種の「文化的誤解」であり、実際の捨松はそんな人間では無かったことはすでに述べたとおりだ。 さて、この『不如帰』がベストセラーとなったのは一九〇〇年(明治33)、トルストイに会ったのが一九〇六年(明治39)で、それから四年後の一九一〇年(明治43)に大逆事件は「起こった」。六月に入って幸徳秋水ら二十六人が検挙され、非公開一審のみのスピード裁判で翌一九一一年(明治44)一月十八日には二十四人に死刑が宣告された。ところが、翌十九日にはその半数の十二人に対し天皇の名で減刑するという措置が発表された。「命だけは助けてやる」ということだ。 実際にはこの件について天皇は一切関知しておらず、事件のでっち上げを推進した桂太郎首相一味が仕組んでいた一種の「八百長」であった。はじめから多めに死刑を宣告し、半分を助けることで「寛大さ」を演出しようとしたのである。もちろん、蘆花はそんなことは知らない。 彼は矛盾するようだが、明治の人間として天皇の熱烈な信奉者であった。この点が幸徳とはまったく違うところで、むしろ反目していた兄蘇峰との共通点はここだけだったかもしれない。それゆえ、蘆花は天皇の恩情にすがって幸徳らの助命を嘆願することを決意し、桂太郎首相に手紙を書き疎遠にしていた兄蘇峰に仲介を頼んだ。兄蘇峰は日清戦争後ロシアが中心となった三国干渉以来、明治政府の方針を支持し、桂とも親しくしていたからだ。これが非戦論そして平和主義を信じる蘆花との決定的な決別の原因となったのだが、このときは助命が第一であり兄のコネも利用すべきだと考えたのだろう。 念のためだが、蘇峰は日露戦争後のポーツマス条約の締結にあたっては、日本中のマスコミが反対を唱えるなか『國民新聞』で敢然と締結に賛成し、そのために日比谷焼打事件で暴徒に襲われたことは、あらためて思い出していただきたい。要するに「言うべきことは言う」信念のあるジャーナリストでもあるのだ。 しかし、このときは梨のつぶてだったらしい。焦った蘆花は、死刑を阻止せんと朝日新聞社主筆の一面識も無い池辺三山に天皇宛ての助命嘆願書を郵送した。それは次のような書き出しで始まる。〈天皇陛下に願ひ奉る 乍畏奉申上候。 今度幸徳伝次郎等二十四名の者共不届千万なる事仕出し、御思召の程も奉恐入候。然るを天恩如海十二名の者共に死減一等の恩命を垂れさせられ、誠に無勿体儀に奉存候。御恩に狃れ甘へ申す様に候得共、此上の御願には何卒元兇と目せらるゝ幸徳等十二名の者共をも御垂憐あらせられ、他の十二名同様に御恩典の御沙汰被為下度伏して奉希上候。 彼等も亦陛下の赤子、元来火を放ち人を殺すただの賊徒には無之、平素世の為人の為にと心がけ居候者共にて、此度の不心得も一は有司共が忠義立のあまり彼等を窘め過ぎ候より彼等もヤケに相成候意味も有之、大御親の御仁慈の程も思ひ知らせず、親殺しの企したる鬼子として打殺し候は如何にも残念に奉存候。何卒彼等に今一度静に反省改悟の機会を御与へ遊ばされ度切に奉祈候。(以下略)〉(『謀叛論』徳冨健次郎原著 中野好夫編 岩波書店刊 旧カナ、旧漢字一部改め)【大意】〈天皇陛下にお願い申し上げます。 畏れながら申し上げます。 このたび幸徳伝次郎ら二十四名がとんでもない罪を犯し、さぞかしご不快に思われていると思います。それにもかかわらず海の如く寛大な御心にて、そのうち十二名に死刑を免ぜられたことは大変すばらしいことだと考えております。この寛大な御心にさらに甘えることになるかと存じますが、この上にさらに何卒主犯と目せられる幸徳ら十二名の者どもにも減刑をお願いできないものでしょうか。 彼らもまた陛下の赤子であることには変わりありませんし、火を放ち人を殺すようなただの凶悪犯とは違います。むしろ平素世のため人のためを心がけていることには間違いなく、今回のことも一部の役人が陛下への忠義立てをしようとするあまり、彼らをいじめ過ぎその結果彼らも自暴自棄になった部分があるかと存じます。このまま天皇の深い御心を知らしめることなく、「親殺しの企てをした単なる凶悪犯」として死刑にしてしまうのは、いかにも残念と存じます。何卒彼らに深いお慈悲をもって、おのが罪を静かに反省し悔い改める機会をお与えいただくことを切に念ずるものであります。〉 言うまでも無く、幸徳は「元兇」(主犯)でも共犯でも無く、大逆罪については完全な無罪である。しかし、情報統制の結果により蘆花は(すべての国民も)真実を知らされていない。逆に言えば、蘆花はこれを冤罪事件だから批判しているのでは無い。「幸徳は極悪人」と認めた上で、それでも死刑に処すべきでは無いと言っているのである。これが大変な勇気を必要とする行為であることは、おわかりいただけるだろう。 だが、この嘆願書は結局間に合わなかった。当局が死刑判決わずか六日後の一月二十四日(管野スガは翌二十五日)に、十二人全員を処刑してしまったからである。この嘆願書は朝日の紙面を飾ることは無く、空しく送り返されてきた。いまと違ってSNSなどは無い。ツイッターでつぶやいて多くの人に知らしめるなどということはできないのである。体調不良を押して本郷へ ところが、偶然ながら蘆花がその主張を開陳する機会が別に訪れていた。おそらく、この嘆願書を書く直前のことだと思われるのだが、第一高等学校(通称「一高」。後の東京大学)の弁論部の学生が、たまたま講演の依頼にやって来たのである。大逆事件とは無関係な話で、高名な作家である蘆花にぜひ講演をお願いしたいということだった。だが、蘆花はそういう依頼はあまり受けない人物だったので、学生たちは依頼が空振りに終わると覚悟していた。 ところが通された部屋で火鉢を間に置いて打診すると、蘆花は二つ返事で引き受けた。このときの一高生で後に日本社会党委員長になる河上丈太郎は、意外な展開に驚きながらも話を先に進めた。〈「それで先生、演題はどうしましょうか?」「ウム」 ここで蘆花はしばし考え込んだ。ややあって、「一高は不平を吐露するに、よいところだからな」 低く太い声で呟きながら、蘆花は火箸を取って灰をまぜ返しながら、何かを書いた。 河上らが火箸の先に目を落とすと、「謀叛論」 灰の中の文字をそう読むと同時に、「謀叛論」という蘆花の低い声が二人の耳に響いた。河上らは一瞬、ドキッとした。「大逆事件」だ。ピンときた河上は全身が粟立つような戦慄と興奮をおぼえた。蘆花は、それ以上何も言わなかった。河上らも訊かなかった。講演日は二月一日とすんなり決まった。河上は四〇年後に『文藝春秋』五一年一〇月号でほぼこんなふうに緊張の瞬間を回想している。〉(『大逆事件―死と生の群像』田中伸尚著 岩波書店刊) 蘆花はそれから、先の嘆願書を書いた。その後十二人がすべて死刑を執行されたとの報道に接し慟哭したが、気を取り直すと三日三晩にわたって講演の構想を練り草稿を書き、何度も推敲した。図らずも、この一高講演が政府の暴虐を遠慮無しに糾弾する最大の舞台となったのである。講演当日、蘆花は体調不良だったが、それを押して本郷に向かい午後三時から始めた。会場は千人を収容できる教室だったが、窓の外にも聴衆が詰めかけていた。いまも残されている草稿によれば、蘆花は次のような言葉で講演を始めた。〈僕は武蔵野の片隅に住んでいる。東京へ出るたびに、青山方角へ往くとすれば、必ず世田ヶ谷を通る。僕の家から約一里程行くと、街道の南手に赤松のばらばらと生えたところが見える。これは豪徳寺──井伊掃部[頭]直弼の墓で名高い寺である。豪徳寺から少し行くと、谷の向うに杉や松の茂った丘が見える。吉田松陰の墓および松陰神社はその丘の上にある。井伊と吉田、五十年前には互に倶不戴天の仇敵で、安政の大獄に井伊が吉田の首を斬れば、桜田の雪を紅に染めて、井伊が浪士に殺される。斬りつ斬られつした両人も、死は一切の恩怨を消してしまって谷一重のさし向い、安らかに眠っている。今日の我らが人情の眼から見れば、松陰はもとより醇乎として醇なる志士の典型、井伊も幕末の重荷を背負って立った剛骨の快男児、朝に立ち野に分れて斬るの殺すのと騒いだ彼らも、五十年後の今日から歴史の背景に照らして見れば、畢竟今日の日本を造り出さんがために、反対の方向から相槌を打ったに過ぎぬ。〉(『謀叛論』徳冨健次郎原著 中野好夫編 岩波書店刊 旧カナ、旧漢字一部改め) まったく同時期に書かれた文章でも、文語体と違って話し言葉はじつにわかりやすい。現代語訳する必要も無いだろう。そして蘆花は、「今日の世界はある意味において五六十年前の徳川の日本」であり、対立を超えて「人類が一にならんとする傾向」があると将来の理想を説く。しかし、そのためには「新式の吉田松陰」、つまり理想の為に犠牲となるかもしれない新たな志士が出て来るに違い無いと考えていたと前置きを述べ、いよいよ本題に入る。〈思いがけなく今明治四十四年の劈頭において、我々は早くもここに十二名の謀反人を殺すこととなった。ただ一週間前の事である。諸君、僕は幸徳君らと多少立場を異にする者である。僕は臆病で、血を流すのが嫌いである。幸徳君らに尽く真剣に大逆を行る意志があったか、なかったか、僕は知らぬ。〉(引用前掲書) そう述べながらも蘆花はこの後、幸徳をおおいに弁護するのである。(第1343回につづく)※週刊ポスト2022年6月3日号
2022.05.26 11:00
週刊ポスト
成年皇族としてのご活動に注目が集まる(3月、東京・千代田区。時事通信フォト)
愛子さま、バイデン氏御所訪問にお姿なく 雅子さまが思い描くデビューのタイミング
 成年にまつわる行事と会見を通じて、愛子さまへの国民の期待は一層高まった。それを陰ながら支えられたのは、母である雅子さまだった。しかしそれから、愛子さまのお姿を目にする機会はない。「アメリカ大統領来日」という大きなトピックを控えて、雅子さまが巡らせた思いは──。 天皇ご一家のお住まいである皇居・御所。5月23日午前10時、その玄関に「誰」が姿を見せられるのか──そこに密かな注目が集まっていた。「愛子さまは昨年末に成年皇族となられましたが、実はそれから一度も表立っての活動をされていません。愛子さまの成年皇族としての“デビュー”がいつか、皇室関係者もメディアも固唾をのんで見守る状況が続いていたのです。愛子さまの英語力は、陛下と雅子さま譲りで、大変流暢に話されるそうです。ならば、その日が“デビュー”にぴったりではないかと期待されていました」(宮内庁関係者) その前日の5月22日、米軍横田基地(東京都福生市など)では、軍用機などを一般公開するイベントが開催され多くの見物客で賑わっていた。夕暮れ時、水色に輝く巨大な機体が滑走路に降りてきた。人々が一斉にカメラを向けたのは、“空飛ぶホワイトハウス”の異名を持つ大統領専用機「エアフォース・ワン」。タラップを下りてきたのはジョー・バイデン米大統領だ。 翌23日朝、バイデン氏が大統領専用車「ビースト」で向かったのは御所。前述の通り、詰めかけたメディアの密かな関心は、玄関で雅子さまと愛子さまが出迎えられるのか、ということだった。その日は雅子さまにご公務の予定はなく、平日なので大学の講義をオンラインで受けられている愛子さまも、御所内にいらっしゃるはずだった。しかし、玄関に立たれたのは天皇陛下おひとりだった。 10年前、それぞれ皇太子と副大統領という立場で顔を合わせられた陛下とバイデン氏。今回は2度目の懇親だった。「車から降りたバイデン氏の『ハロー』という声かけに対し、陛下は笑顔。通訳を介さず英語でバイデン氏と挨拶を交わされました。『多忙な滞在日程の中で、最初に御所にお越しくださり、感謝します』『再びお会いできてうれしく思います』とおっしゃる陛下に、バイデン氏は『御所にお招きいただき光栄に思います』と返したそうです。 お出迎えはされなかったものの、御所は雅子さまと愛子さまのお住まい。陛下との会見の前後に、おふたりが挨拶されるタイミングがあるかもしれないとみられていました」(皇室記者) 会見は、御所の小広間で30分にわたって行われ、開始早々に笑い声が上がるなど、打ち解けた様子だったという。「話題は、日米両国の友好親善関係への願いから、バイデン氏の2011年の東日本大震災の被災地訪問への謝意、コロナ禍と多岐にわたったそうです」(前出・皇室記者) しかし、最後まで雅子さまと愛子さまがバイデン氏の前に姿をお見せになることはなかった。会見を終え、玄関先でバイデン氏を見送られる際、陛下は「次回は皇后を交えてお会いしたいですね」と伝えられたという。 2019年、当時のトランプ大統領夫妻が国賓として来日した際は、両陛下が接遇にあたられた。「雅子さまは、メラニア夫人の故郷の文化を深く理解した挨拶をし、家族の話題で打ち解けるなど、類い稀なる“外交力”を発揮されました。ネイティブ並みの英語を操る雅子さまにトランプ夫妻は驚嘆したといいます。 今回、コロナ禍の影響もあり、バイデン氏は夫人を伴わずに来日。『1人の来客にはおひとりでのご対応』という通例を踏襲した形になったといいますが、過去にはオバマ大統領が夫人を伴わずに来日した際に、当時の両陛下(上皇ご夫妻)が接遇されたこともあるので、雅子さまと愛子さまが面会されることもあり得たはずです。 愛子さまのお目見えにはとっておきの機会とみられたのですが、そうならなかった理由には、両陛下のより深く、緻密なお考えがあったようなのです」(前出・宮内庁関係者)アメリカと沖縄、天皇家の思い 愛子さまは3月に行われた成年に際しての会見で、視線を手元に落とすことなく、記者一人ひとりと目を合わせてお言葉を述べられた。そのなかに、「一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたい」というお言葉があった。「女性皇族が結婚後も皇室に残るかどうかに関する議論はまだ結論が出ていません。ただ、秋篠宮家の長男・悠仁さまが即位される頃には、同世代で天皇を支える皇族が極端に少なくなることを踏まえると、女性皇族が何らかの形で結婚後も皇室に残るような制度になることは、ほぼ確実視されています。 愛子さまの『できる限り両陛下をお助けしたい』というお言葉は、天皇家の長子としての責任感の強さを感じさせるもので、事実上の“生涯皇族”の宣言とも解釈できるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト) 強いご覚悟で成年皇族としての歩みを始められた愛子さまの“第一歩”が、果たしてどのタイミングであるべきか、両陛下は慎重に見定めてこられたという。「1つは学業とのバランスでしょう。愛子さまは成年皇族になられたとはいえ、まだ大学生です。現代の皇族にとって、社会との接点となるライフワークの研究分野を開拓されることはとても大切なことです。公務や行事が忙しくなり、学業がおろそかになれば元も子もないのです。 もう1つは、この“デビュー”にあたる行事が、愛子さまの長い皇族人生では何度も繰り返し注目され、それが世間の愛子さまに対する強いイメージになるということです。世界平和を希求されるお立場からすれば国際親善の場はふさわしいのかもしれません。ただ、それがアメリカの政治リーダーとの挨拶の場面でいいものなのか、雅子さまはそう疑問を抱かれたのかもしれません」(皇室関係者) 奇しくも、バイデン氏の御所訪問の2日後の25日に、日本とアメリカにとってゆかりの深いイベントに天皇家が参加される予定があった。沖縄がアメリカから日本へ返還されて50周年を記念する特別展「琉球」(東京国立博物館、台東区上野)での公務である。 両陛下は5月15日、オンラインで沖縄復帰50周年記念式典に出席された。陛下はご挨拶で、中学1年生のとき、本土復帰のニュースをご両親とご覧になったというエピソードを明かされ、「沖縄にはいまなおさまざまな課題が残されています」と語られた。「陛下は今年のお誕生日会見でも沖縄に言及されました。日本国民の統合の象徴として、天皇陛下は、一時はアメリカの統治下にあったという複雑な歴史を持つ沖縄に心を寄せられてきました。それは雅子さまもご一緒でしょう。 愛子さまの成年皇族としての“初仕事”がバイデン氏へのご挨拶でいいのか、それとも沖縄への思いを表現するものであるべきか。雅子さまも悩み抜かれた上での決断だったのではないでしょうか」(前出・皇室関係者) 国民と共にあるとはどのようなことか。雅子さまはこれからも、愛子さまにお伝えになっていくことだろう。※女性セブン2022年6月9日号
2022.05.26 07:00
女性セブン
「沖縄には、今なお様々な課題が残されています」と、陛下は沖縄の今後についても言及された(宮内庁提供)
沖縄本土復帰50周年 昭和、平成、令和と皇室で受け継がれる沖縄への祈り
 沖縄県が本土に復帰してから、5月15日で50年。その節目に合わせて行われた「沖縄復帰50周年記念式典」に天皇皇后両陛下がオンラインで出席された。「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』の思いを深められたと伺っています」 天皇陛下は式典で“命こそ宝”という意味の方言を用いながら、沖縄の人々へお言葉を寄せられた。「忘れてはならない4つの日」の1つに、沖縄慰霊の日(6月23日)を掲げるほどに、皇室にとって沖縄は思い入れの深い場所でもある。次ページからは、昭和・平成・令和と受け継がれてきた、沖縄への「祈りの歩み」を振り返る。【昭和天皇・香淳皇后】 いまから50年前の1972年5月15日、東京・日本武道館で行われた「沖縄復帰記念式典」に出席された昭和天皇と香淳皇后。沖縄訪問を悲願としていた昭和天皇だったが、体調を崩されその願いは叶わず。「祈りの旅」は上皇陛下へと受け継がれることとなる。【上皇ご夫妻】 本土返還から3年後に上皇ご夫妻が初めて沖縄を訪問された。戦争での遺族も多く複雑な感情の残る時代だったが、ご夫妻は“たとえ石を投げられたっていい”と沖縄入りを決めたという。「ひめゆりの塔」で献花された際、過激派の青年がご夫妻に向かって火炎瓶を投げつける事件があったが、退避され事なきを得、以後も現地の施設訪問を続けられた。 前年に「ひめゆりの塔事件」がありながらも、ご夫妻は翌年も続けて沖縄入りを果たされた。写真は沖縄海洋博覧会の閉会式の折に、伊江島芳魂之塔で黙祷を捧げられた際のもの。 沖縄・糸満市にある「沖縄平和祈念堂」を訪問され、歓迎の人たちにお言葉をかけられるご夫妻。10年にわたって訪問を続けられ、現地の人の受け入れ方にも変化が見て取れる。「沖縄平和祈念堂」を訪問された際、体調を崩され訪問が叶わなかった昭和天皇のお言葉を、皇太子(当時)として代読された。 平成の御代がわりを経て、天皇皇后として初めて沖縄を訪問されたご夫妻。名護厚生園(名護市)で入園者に声を掛けられたときの写真や首里城(那覇市)を訪れ、正殿内の「御差床(うさすか)」と呼ばれる御座所をご覧になったときの写真がある。 80才近くになられても沖縄訪問を続けられたご夫妻。糸満市にある「国立沖縄戦没者墓苑」を訪れ、犠牲者に白菊の花をささげられた。遺族らには「お体を大切に」などのお声をかけられたという。 平成の天皇皇后として最後となった沖縄訪問は退位の約1年前の2018年3月のこと。退位の直前まで訪問を続けられ、ご夫妻の沖縄訪問は計11回にも及んだ。【天皇ご一家】 天皇陛下が初めて沖縄を訪問されたのは、1987年のこと。今年5月15日の記念式典では「復帰から15年を経た昭和62年、国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。その当時と比べても、沖縄は発展を遂げ、県民生活も向上したと伺います」と述べられた。 沖縄が本土復帰25周年を迎えたタイミングで皇太子ご夫妻としてご訪問。おふたりがそろって沖縄を訪問されるのは初めてのことだった。写真は「平和祈念公園」内の「平和の礎(いしじ)」を前に慰霊された際のもの。 皇太子となられてからも慰霊を続けられた陛下。写真は国立沖縄戦没者墓苑で供花を終えられた際のもの。「豆記者」として派遣された沖縄と北海道の小中学生を東宮御所にお招きになり、歓談されたご一家。当時の愛子さまは中学3年生。同世代の記者たちと話し、笑顔を見せられた。【秋篠宮ご一家】 秋篠宮家ご長男悠仁さまは小学1年生のときに、試験休みを利用して沖縄初訪問。沖縄戦で亡くなった24万人超の名前が出身地別に刻まれた「平和の礎」を前に、悠仁さまは「東京都はどこ?」と尋ね、秋篠宮ご夫妻と一緒に探すなど熱心にご覧になっていた。 ご一家で沖縄の地上戦で犠牲になった人々を追悼する「地上戦と子どもたち追悼の集い」(東京・新宿)にご出席。佳子さまは会の終了後、関係者一人ひとりに「ありがとうございました」と話し掛けられていたという。「全国育樹祭」に合わせてご夫妻で沖縄ご訪問。令和の御代がわりを経て、皇嗣同妃両殿下となられてから初めてのことで、現地の豆記者とのご接見や国立沖縄戦没者墓苑へのご訪問も果たされた。撮影/雑誌協会代表取材 写真/宮内庁提供、時事通信社、共同通信社※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.20 11:00
女性セブン
悠仁さまは天皇陛下から帝王学を学ばれていないが
悠仁さま“自由な選択”を尊重し、バドミントン部に入部か 帝王学への不安も
 提携校進学制度を利用しての進学、作文コンクールの入賞作品における“コピペ疑惑”など、高校受験と前後して議論が巻き起こった秋篠宮家の長男・悠仁さま。筑波大学附属高校に入学されてから約1か月──。「悠仁さまはバドミントン部に入部されるそうです。皇室に縁のあるスポーツといえばテニスのイメージが強いですが、悠仁さまは“皇室の伝統”とは趣を異にした競技を選ばれました。ここにも、自由な選択を尊重する秋篠宮家の教育方針が感じられます」(宮内庁関係者) お住まいのある赤坂御用地には、4月下旬、上皇ご夫妻が新居に移られた。上皇陛下から悠仁さまに「帝王学」を授けられることへの期待の声もあるが、現状では難しいという。「通学で日々外出されている悠仁さまから、万が一新型コロナを上皇ご夫妻に感染させることがあってはならないからです。また、上皇陛下と悠仁さまの年齢差は73才です。時代が違えば、世間が皇室に求めるものも変わります。ですから、“悠仁さまは、天皇皇后両陛下からさまざまなことを学ばれるのがいいのではないか”という声が高まっています」(前出・宮内庁関係者) しかし、実現のためにはハードルがある。5月19日、紀子さまと雅子さまが参加される予定の全国赤十字大会(東京・渋谷区)が開催。2月の天皇誕生日の祝賀以来、3か月ぶりの公式な場でのご対面となる。振り返ると、療養中の雅子さまは、皇后になられる前年の2018年、実に15年ぶりに全国赤十字大会に出席された。「体調が優れず、長く、宮中行事や公務へのお出ましがない時期が続いていましたが、このときにはしっかりとその役目を果たされた。壇上で美智子さまからお声がけをされ、名誉総裁の座を“公開禅譲”される一幕もありました。2020年には18年ぶりに宮中祭祀にも臨まれ、着実に快復の道を歩まれています」(皇室記者) 一方の紀子さまは、あらゆるお出ましで“パーフェクト出席”をされてきた。「紀子さまは、雅子さまの不在時には自分が頑張らなくてはという強い使命感をお持ちだったようです。2006年の悠仁さま誕生後からはよりいっそう、将来の天皇の母としての誇りと自信を胸に、公務に臨まれてきたといいます。 それゆえ、雅子さまのお出ましが増えたいまでも“雅子さまに頼り切りではいけない”というお気持ちと同時に、雅子さまの体調がいつ逆戻りしてしまうかわからない、という不信にも似たお気持ちがあるようです」(皇室関係者) それが、ひいては両陛下と秋篠宮家のコミュニケーション不足に影響しているのではないかと危惧する向きもある。「次男である秋篠宮さまは、天皇になる前提で教育を受けられてきたわけではありません。このまま、陛下からの薫陶を受けられずに悠仁さまが天皇に即位する日が来たら、天皇としてのなさりように悠仁さまが戸惑われることも起こりうる。“独自の教育方針”を貫かれるだけでなく、悠仁さまの教育について紀子さまから雅子さまにご相談なさってほしいと感じている皇室関係者は少なくない」(別の宮内庁関係者) 紀子さまは大きな選択を迫られている。※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.19 07:00
女性セブン

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