教育にも熱心だった(写真/共同通信社)
池田が「教育は建国の基礎」と再認識したのは、「軽武装、経済重視」一辺倒の外交の限界に直面したからだという見方がある。
世界がキューバ危機や中印紛争で揺れる1962年の秋、池田は欧州を歴訪した。帰国後、米誌タイム・ライフの編集局長の訪問を受け、「池田総理は、軍事的解決と、政治的・経済的解決をいずれを重要と考えますか」と質問される。
池田の首相秘書官を務めた伊藤昌哉は著書『池田勇人とその時代』で問答をこう再現している。
〈私は池田がどう答えるか、非常な興味をおぼえた。池田は即座に、「文句なしに軍事的解決です」と答えた。池田は日本国の権力の頂点にたって、諸外国の首脳と接触し、日本国の力の限界をはっきりと知らされたのだろう。国際社会における国家権力の本質は、本来、裸の暴力そのものである。それは銃口のうえにのみきずかれる〉
そして池田の教育論の背後にあった思いをこう書く。
〈自分の国を自分たちの手でまもるには、どこの国にも厄介にならぬ軍事力を、自分たちがもてばよい。これは簡明率直な理論であるが、日本の国情はそれを許さない。(中略)では、どうやって国をまもるか。それには国民の一人一人が国を愛する気持ちを育てなければならない。具体的なことにしか関心がなかった池田は、皮肉にも、こうしてもっとも抽象的・観念的な人づくりという問題を、みずから提起しなければならなかった〉