戦争が本格化すると、水泳選手が軍の水泳指導に動員されるようになった。1936年のベルリン大会で史上最年少の代表に選ばれた児島泰彦もその1人だった。東京大会、代替地のヘルシンキ、1944年のロンドン大会も中止となり五輪で金メダルを獲る夢を戦争で打ち砕かれた児島は海軍士官として沖縄に向かい、1945年6月の沖縄戦で迫撃砲の砲撃によって戦死した。
時代に翻弄された戦没オリンピアンたちの想いは現代の日本人にも引き継がれ、五輪の物語は続いていく。
※週刊ポスト2020年8月28日号
戦争が本格化すると、水泳選手が軍の水泳指導に動員されるようになった。1936年のベルリン大会で史上最年少の代表に選ばれた児島泰彦もその1人だった。東京大会、代替地のヘルシンキ、1944年のロンドン大会も中止となり五輪で金メダルを獲る夢を戦争で打ち砕かれた児島は海軍士官として沖縄に向かい、1945年6月の沖縄戦で迫撃砲の砲撃によって戦死した。
時代に翻弄された戦没オリンピアンたちの想いは現代の日本人にも引き継がれ、五輪の物語は続いていく。
※週刊ポスト2020年8月28日号