「お前ら、ウンコにたかるハエだ!」。執拗に追い回されたある大物俳優がレポーターを怒鳴ると、須藤甚一郎さんはこう反応した。「じゃあ、あんたはウンコかい?」。当意即妙な返答に、相手は黙るしかなかった──。
『微笑』の記者だった須藤は1978年、芸能レポーターに転身。1981年、ジャネット八田が西武の田淵幸一との婚約を発表した時、“事件”は起こった。当時から芸能レポーターとして活躍する前田忠明氏が語る。
「他のレポーターが『お腹出ていますね。妊娠ですか?』と聞いても、一向に認めようとしない。残り5分、痺れを切らした甚さんが『お小水をください……なんて言えませんから、ご自身の口からおっしゃってください』とかました(笑い)。会見の様子をうかがいながら、最後にズバリ聞く人でした」
1989年の大晦日にも“直球”を投げた。中森明菜の復帰会見に近藤真彦が出席。須藤さんは「結婚の話はどうなっていますか?」と核心を突いた。これには、マッチも「須藤さんにお話しすると、嘘ばっか言われるので、須藤さんの質問は避ける心構えで出席しました」と応戦。緊張感漂うテレビ画面に視聴者は引き寄せられた。
1998年、三田佳子の次男が覚醒剤取締法違反で逮捕される。会見で三田が「本来なら少年法によって守られなければならない。親が私で……」と発言すると、「有名女優の息子だからではなく、ガキが覚醒剤をやるのはとんでもないこと」と怒声を飛ばした。
強気のスタイルには理由があった。1980年代半ばから芸能レポーターを続ける井上公造氏は、須藤のこんな言葉を聞いていた。
「優しい質問ばかりでは、会見を開いた意味がないと逆に芸能人が叩かれる。俺たちは嫌われ役でいい。タレントがいるから芸能レポーターは存在するんだ」
肺腑をえぐる質問の裏に、相手を思いやる気遣いを持つ男気溢れる人だった。(文中一部敬称略)
●須藤甚一郎(すどう・じんいちろう)/1939年生まれ、東京都出身。早稲田大学第二政経学部政治学科卒業後、トリンプ入社。1967年、世田谷区議選に立候補のため退職するも落選。『微笑』などで記者を務め、1978年に芸能レポーターに転身。1985年、松田聖子が神田正輝と挙式した時、「生まれ変わっても神田さんと一緒になりたいですか?」と質問。郷ひろみとの破局会見のセリフを使い、話題を呼んだ。1999年に目黒区議選で初当選。2020年8月11日、多臓器不全のため死去。享年81。
※週刊ポスト2020年10月2日号