「女髪結」も国の方針によって奪われた職業の1つである。江戸時代前半頃までの女性の髪形は、背中に長く髪を下ろした下げ髪が主流だったが、17世紀末以降に結い上げるようになり、18世紀半ば頃に女性が女性の髪を結う「女髪結」という職人が登場した。女髪結たちは、「ふけ取り3年」と表現されるように櫛を使ってていねいにふけを落とすところから修業を始め、さまざまなヘアスタイルを結えるように腕を磨いた。幕末には、江戸の女髪結は1400人以上いたとされる。
「幕府は女性が技術を磨いて職業とすることを想定せず、一貫して女髪結の営業を禁止して、取り締まりの対象としました。現実には見て見ぬふりをすることもありましたが、1830年から始まった天保の改革で取り締まりを強化し、女髪結と、結われた女性には罰金や手鎖が科されました。さらに、女髪結の親と、結われた女性の親まで『しつけが悪い』と処罰されたほどです。
この時代に江戸北町奉行だった遠山景元(遠山の金さん)は、『女髪結は貧しい庶民の仕事。全部捕まえるのはかわいそうだ。目立つ者だけでよい』といった配慮をして、江戸の庶民から敬愛されたという話もあります」
女髪結に限らず、幕府は女性に対して職業上の身分を公式に認めなかった。こうした時代を経て、「職人といえば男」という通念が生まれ、後世へと引き継がれていった。
一方で、現代には引き継がれなかった通念もある。
「江戸時代の子育てや介護は、当主である男性の責任でした。親の介護は忠孝の『孝』の中でもいちばん大切なことなので、家来の武士が介護休暇を申し出たら、大名は断るわけにはいきません。一家の主が堂々と介護休暇を取れた時代だったのです」
男性は社会的な活躍と同時に、家の中では「頼れる息子」でなければならなかったのだ。
※女性セブン2020年11月19日号