コロナ禍で苦戦する全国の映画館を応援しようと、4人の映画人がオンライン・トークショーを行っている。『ミニシアター押しかけトーク隊「勝手にしゃべりやがれ」』と題したイベントでは、賛同した劇場で上映された作品について、荒井晴彦(脚本家、映画監督)、森達也(映画監督、作家)、白石和彌(映画監督)、井上淳一(脚本家、映画監督)の4氏がオンラインで縦横無尽に語る。その模様は、上映直後の映画館の観客が観覧できるほか、YouTubeでも公開されているが、ここではそれを活字化してお届けします。4作品めとなる今回は、井上淳一監督『誰がために憲法はある』。今回はその後編です。(文中一部敬称略)
「子供たちが死ぬとき一番多かった言葉はなんだったと思いますか」
森:PANTAさんに前に聞いたんだけど、彼の初期の作品は、ほとんどが放送禁止歌や発売禁止になっているわけでしょ。で、彼なりのテクニックがあって、レコ倫の事前審査に出すときに、いくらなんでもこれはだめだろうと自分でも思うような詞を提出する。そうするとレコ倫からは、予想どおりにこれは駄目ですと返事が来る。そこで最初に書きたかった詞に修正して、ここまで譲歩しましたみたいな振りをする。すると向こうも、まあそこまで譲歩してくれるなら、とOKの判断をする。PANTAさんならではの発想だよね。ところで白石さんのこの作品についての感想をまだ聞いてないけど。
白石:やっぱり井上さんて真面目なんですよね。松元ヒロさんの「憲法くん」もコメディスタートなんですけど、映画のほうは全体的に笑えるシーンはほぼない。井上さんは書く脚本も基本、そういう傾向があるんですけど、さっき、ぼく、冒頭の井上さんの作品をつくっていく経緯を聞いていて、いろいろこれ駄目なんだって右往左往している感じって滑稽じゃないですか。そういう部分がちょっとでも出れば面白かったんじゃないかと思うんですね。
それは森監督の映画を見ていても登場人物たちはすごい滑稽で可愛げがあって、いかにも人間らしくてというのが垣間見えるのが面白いところですよね。だからそういう部分が出るといいなと思いながらも、ぼくが井上さんのすごく好きな特性というのが実はあって、それはさっき森さんが言った『アジアの純真』とか『あいときぼうのまち』(2014、菅乃廣監督)も両方、井上脚本作品ですけど、すごい真面目なことをやっている。そして青春描写の描き方が非常にベタなんですけど、監督が違っても変わぬみずみずしさがあるんですよ。
それがぼくが『止められるか、俺たちを』(2018)のホンを井上さんにお願いした大きな理由の一つなんですけど。その文脈で見ていくと『誰がために憲法はある』で中学生が出てくると、ドキュメンタリーとはいえぼくは同じみずみずしさを感じたんですね。それがやっぱりよくて、そこが切られたのが、結果としてスッキリしたとかそういう部分もあるかもしれないですけど、井上さんの大きなストロング・ポイントがなくなったなという淋しさはあったんですね。でもやっぱり憲法を映画にしようという発想が真面目なんで、それを真面目に届けたいということなだけど、それをもう少し面白おかしく、何かを茶化しながらやるぐらいのスタンスでつくったら、当初言っていた広がりとか見てくれる層が違ったのかなとちょっと思いましたけどね。
森:話が少し広がり過ぎるかもしれないですけど、ぼくもかつて憲法をテレビでやろうと思った時期があったんです。もう十何年前ですけど、『NONFIX』というフジテレビの深夜のドキュメンタリー枠で、始まってから30年とかの記念だったと記憶しているけれど、かつてこの番組に作品を提供していた作りてたちに集まってもらってひとつのテーマでできませんか、という話をフジテレビから提案されて。是枝裕和さんやテレコムスタッフの長嶋甲兵さん、ドキュメンタリージャパンの長谷川三郎さんやSlowhandの中村裕さんなどと一緒に何度かブレインストーミングしたんです。
長嶋甲平とぼくの記憶が微妙に違うのだけど、ぼくはそのころに天皇をテーマにしたドキュメンタリーを考えていました。でも局にそんな企画をプレゼンしても通るはずがない。ならば憲法を包装紙にすればいいと考えて、統一テーマとして憲法どうですかって提案してみんなが乗ったんです。ちょうど安倍の第一次政権の頃で憲法改正がホット・イシューになりかけていた時期でした。それぞれが選んだ憲法の条文をテーマにドキュメンタリーを作るという試みで、ドキュメンタリー・ジャパンは24条男女平等、テレコムスタッフは96条の憲法改正、是枝さんは9条で、フジテレビ報道は21条表現の自由、Slowhandは25条生存権、そして森は1条と決まって、それぞれ手分けして撮り始めました。
最終的にぼくのパートだけは、つまり憲法一条はフジテレビから撮影中止を言い渡されて陽の目を見なかったんですけど、やっぱりその時にも憲法を何らかの意味で形にしたいと思ったし、9条が一番本丸ではあるけれど、9条だけではなく、さっき井上さんがちらっと言ったように、では1条をどうとらえるかということがあって。ぼくは護憲派ではありません。前文も大好きだけど、文章がちょっと変だよね。でも変でも意味が伝わればいいじゃんと思っているけど、そこも含めて、幾つかの条項の中にはたしかに時代に合わなくなってるかなというのもあるから、それは修正してもいいんじゃないかなと思う。ただ今の状況で9条だけは絶対変えちゃいけない、触るなと今の安倍政権には言いたい。9条をもし変えるにしてもそれはもっと違うタイミングで熟した時にやるべきで、憲法の意味もよくわかっていない今の自民党には絶対触ってほしくないし、そこはまったく一致している。
そこで井上さんに質問だけど、渡辺美佐子さんが原爆パートのところで「子供たちが死ぬときに一番何を言ったか、一番多かった言葉はなんだったと思いますか」と聞かれて、井上さん、あそこで答えてないよね。
井上:答えませんでした。あれを撮りながらぼくに聞いてないなという感じがあったんですよ。美佐子さんは明らかにカメラに向かってお客さんに聞いているから、僕が答えちゃいけないんだと思って答えなかったんです。
森:目線はカメラだっけ。
井上:美佐子さん、途中から完全にカメラ目線になっているんです。
森:井上さんはカメラの横にいるけど、カメラのほうに目線が行っている。なるほどね。了解。わかりました。
井上:だからぼくも一瞬、答えるところかなと思いました。でも自分の作品のこととなると話をするのはむずかしいですね。
人間なんていつ自分が加害者になるかわかんない
森:じゃあ加害の話をする? それは井上さんもこの作品の加害性については考察が欠けていると語っているのはその通りだし、ただ、映画の中に全部入れ込むというのは無理だしね。これはこれで追及していると思うけど、じゃあ、次の段階ですよ。次は加害をテーマにやりましょうということですよ。
井上:まったくそう思っています。ただ、ちょっと反省は、あの女優さんのインタビューの中でぼくがひと言、「じゃあみなさん被害を語られていますけど、加害についてはどうお考えになるんですか」って聞けばよかったんですよね。これは遠慮なんてしたつもりはなかったんですけど、やっぱり信頼関係を築けなかったんで、思いつかなかったんですよ。編集をやっている時に「ああ、それ聞けばよかった、馬鹿だなあ」と思ったのと、もう一個、美佐子さんの単独インタビューは原爆ドームの前で撮ろうと思ったんだけど、広島が西日本豪雨の時で、撮れなかったんで、あれは「東京大空襲・戦災資料センター」に行って撮っているんです。ただ、その時にわざわざ下町の住吉まで行かなくても、早稲田の「女たちの戦争と平和資料館」に行って、慰安婦の方たちの写真の前で知らん顔してインタビューすればよかったなと、ぜんぶ後の祭りですけど思いました。わかる人だけにわかるようなやり方だってあったなと。
音楽だってぼくは頭脳警察の「さようなら世界夫人よ」をインストゥルメンタルでと言ったけど、「井上君、それだけじゃあ足りないから『鳥の歌』をやろうよ」と言ってくれたのもPANTAさんだし、ほんとうにみんなに助けられながらやってるんですけど、やっぱり気づかないところは気づかないんですね。大橋芳枝さんが唯一、「あんまり被害のことだけ言いたくないのよ。どっちが始めた戦争よ」っていうあの一言が自発的に出ているだけなんで。荒井さん、今日の信濃毎日新聞でも『この世界の片隅に』について書いてるじゃないですか。日常を描いていてよかったと評価されているけど、日中戦争で南京が陥落した時にあのすずちゃんは提灯行列で万歳、万歳と言って歩いただろう。日常と戦争はつながっているのにと大否定じゃないですか。
荒井:全否定というか、大ヒットし、あの映画をいい映画だと見に行ってる人も含めて否定しているんだよ。客が悪いんだよ。
井上:だけど今、森さんが奇しくも言ったように映画って全部を見せることはできないわけじゃないですか。たとえば荒井さん、『この世界の片隅に』がヒットしなかったら、ここまでの批判は言わなかったでしょ。
荒井:うん。ターゲットにはならないでしょ。
白石:ヒットしなければ、喧嘩する相手にはならないですよね(笑)。
森:加害性の問題というのは今もいろんな部分に現れているけど、たとえばぼくは大学でも教えていますけど、ゼミでぼくは毎年死刑問題をやっているんです。で、学生に死刑制度についてどう思うって聞くと、3分の2ぐらいが賛成なんですけど、賛成の理由を聞くと、けっこう何人かが自分は絶対に加害者にならないけど、被害者にはなるかもしれないと答えます。
荒井:ああ。
森:これは実際の死刑囚も同じです。自分が加害者になるとは思っていなかったと言いますよ。そういう人が死刑囚になっているわけで、だから人間なんていつ自分が加害者になるかわかんないですよ。だって被害者が10人いるということは理論的には加害者も10人いるわけでね。でも加害者に対しての想像力をぼくらは無意識に止めてしまう。自分とは違う人なんだと思いたいから。でも違わないんです。つながっているんです。その一番ポピュラーな例が戦争だったり虐殺だったりね。
それはぼくらと同じ人たちが子供を銃剣で突き刺したり、レイプしたり火をつけたりするわけですよ。でもそれは、彼らが残虐で冷酷だからではなく、なにかが止まったのか、もしくはスイッチが入っちゃったかどっちかはわからないけど、ある環境設定で人は残虐になるんです。それはいまのぼくにもあるスイッチである、という意識を持つことが大切なんだけど、なかなかそれは持てない。
だから今、死刑を例にあげましたけど、やっぱりそれだけじゃないんじゃないかな。いろんな部分で社会に現れている。もっともっとみんなが自分たちの加害者性というものを意識すれば、後ろめたさをもつから世の中だいぶ変わるんじゃないかと思うんだけど、後ろめたさっていうのは持っていて厄介な、いわゆるギルティの部分ですからね。だからみんなそういうのを持ちたくないと思って、なるべく身軽になりたいっていう感じがする。そのあたりを映画で追求してみたいと思っています。
「反日は最低限のたしなみだと思ってた」
井上:そういう意味では白石さんの映画はこの平穏に見える世の中でも薄皮一枚へだてて暴力に満ち溢れているっていうのをどっかで書いたことがあるんだけど、わりとそういうことを自覚的にやっているんじゃないですか。
白石:そうですね。うっかり加害者になってしまった。法から外れてしまった人たちをやっぱり描きたいとは常に思っているんで、でも、今、森さんが言ったことはほんとうにそうだなと思って、いつ、自分が被害者になることは想像できても加害者になることはなかなか想像しずらいと思うんですよ。それはここ何年かの日本映画だったり、テレビドラマだったりいろんなメディアでやりきれてないことだとは思うんで、それが今のぼくらがやっている映像世界にほんとうに足りないことだと思っていますね。
荒井:森さんが死刑の話をしたけど、死刑っていうのは国家による殺人じゃない。殺人なんだよ、あれは。国家による殺人という意味では戦争と同じなんだよ。だからそれを被害者感情だとか、海外では死刑がなくなっている国が多いのに、日本は残っているよね。アンケートを取ると60パーセントぐらいが死刑制度賛成というらしいけど。
森:内閣府のアンケートでは85パーセント以上が死刑賛成です。
荒井:だからあれは殺人だっていうふうに思わないのかね。
森:うーん、人を殺した奴らだからということなのかな。
荒井:人を殺した奴だから殺すという、それは原始的だよね。
森:その矛盾が最も強く表れたのが相模原障害者施設殺傷事件です。犯人の植松聖は重度の障害者には生きる価値がないといって19人も殺したわけですよね。それに対してぼくらはふざけんな、冗談じゃないと。彼らに生きる価値がないなんて誰が決めるんだ、生きる価値がないのはおまえだ、ということで、国民合意のうえで死刑にする。人を殺すといういけないことをやったから、その人を殺す。この同義反復的な矛盾になぜもっと自覚的にならないのかなと思います。
荒井:森さんは、『絞死刑』(1967年・大島渚監督)みたいな映画を、もう一回、撮ればいい。あれはまっとうにそれをやっていたよね。
森:ブラックなコメディに仕上げているけれど、後半は本当にストレートですね。まあ、だからあれはやっぱりタッチも含めてね。『絞死刑』には荒井さんはかかわっていないのかな?
荒井:学生でした。
森:あれは国家権力を体現した小松方正さんがいたからこそ、成立している映画でしたね。
荒井:戸田重昌の美術がすごかったね。
森:今日は井上淳一論をしようと思っていたんで、もう一回、言いますけど『アジアの純真』はすごい。皆さん、見てください。これは公開当時、ネットでは反日映画って叩かれたんでしょ。ぼく、今回、『ニューズウィーク日本版』に原稿を書いて、最後に「反日映画で何が悪い」って書きました。だって当たり前じゃない。映画なんだもの。
井上:昔、荒井さんと書いた映画で、スポンサーが、荒井さんがそんなに反日だって知らなかったって言った時に、荒井さんが言ったセリフは「反日は最低限のたしなみだと思ってた」って。
白石:あはははは(笑)。
井上:だからぼくもそう思って。ちなみに今度、その『アジアの純真』を高田世界館でやるんですけど、そのトークゲストが蓮池透さんなんですよ。映画を見てない人は完全に置いてきぼりになっていますけど、これ、言ってしまえば蓮池透さんに毒ガスを投げる映画なんですよね(笑)。
森:いいんじゃないですか。それも含めて彼は笑いながら見てくれると思います。
井上:なかなかシュールなんです。
白石:でもちょっと森さんの琴線に触れる、ツボだっていうのが、もう、それだけで飲めそうですよ(笑)。
井上:リモートが残念なのは、この後で、みんなで一杯飲めないことですね(笑)。
荒井:でも『アジアの純真』はやり過ぎだと思うよ、俺は。
森:終盤の展開は、僕だったら確かにあっちにはいかない。もっと地味に行きます。でもあれはあれでありじゃないかと思った。あの展開は。
荒井:あれは若松孝二の悪い血が流れているね。あそこに。
白石:悪い血まで真似る必要はないと思ったけど(笑)。
井上:悪いところだけ似るもんなんですよ。白石は似てないか。だから、この差か(笑)。
森:後半のパレスチナや核兵器は強引すぎると思った。あと『アジアの純真』に関しては、やっぱりヒロインの韓(英恵)さんがいい。彼女はすばらしいね。
守ってもいない憲法を改正するなんて言語道断
井上:最後にそれぞれの憲法についてのご意見を伺います。ぼくも森さんとまったく同じで改憲する必要があるにしろ、絶対、今の安倍政権だけはやっちゃいけないというその思いだけなんですけど。白石さんはどうですか。
白石:今も安倍政権は国会を開かないとか憲法違反をしているけど、それを裁く法律がないじゃないですか。それをいいことに憲法を改正するとか言いながらも自分が守っていない。守ってもいない憲法を改正するなんて言語道断なんで、この政権だけには変えさせちゃいけないですよ。
井上:荒井さんはどうですか。
荒井:9条は1条とセットで、できた。天皇制を残してあげるけど、軍隊は持たせないよと。そうやってできた9条だけを守ろうというのは弱いような気がするんだけど。攻撃は最大の防御なりというけど、なんか攻撃の手がないのかと思うんだけどね。だったらさっき森さんがちょっと言っていたけど、改憲というふうに言うと戦えないだろうな、大衆はついてこないよ。だからしょうがないから9条を守ろうだね。9条を変えるなら、1条も変えろよと改憲勢力に言いたいんだけど。
森:そうですね、これは下手に攻撃したら。
井上:相手の土俵に乗っちゃうことになるんで。これも各地で同性婚裁判を取材している新聞記者に聞いたことがあるんですけど、やっぱり同性婚裁判を絶対に違憲だというように、憲法問題に触れないようにやっているんですね。憲法に触れて、じゃあ同性愛者のために、マイノリティのために憲法を変えようみたいなふうなことから改憲のアレンジをされたくないと。だから皆さんそういうことにはすごく神経を使っているなと思います。
(了)
◇構成/高崎俊夫
◆劇場情報 このトークライブが行われたのは「御成座」です(於・2020年8月14日)。〒017-0044 秋田県大館市御成町1丁目11−22(http://onariza.oodate.or.jp/)
【プロフィール】
●荒井晴彦/1947年、東京都出身。季刊誌『映画芸術』編集・発行人。若松プロの助監督を経て、1977年『新宿乱れ街 いくまで待って』で脚本家デビュー。以降、『赫い髪の女』(1979・神代辰巳監督)、『キャバレー日記』(1982・根岸吉太郎監督)など日活ロマンポルノの名作の脚本を一筆。以降、日本を代表する脚本家として活躍。『Wの悲劇』(1984・澤井信一郎監督)、『リボルバー』(1988・藤田敏八監督)、『ヴァイブレータ』(2003・廣木隆一監督)、『大鹿村騒動記』(2011・阪本順治監督)、『共喰い』(2013・青山真治監督)の5作品でキネマ旬報脚本賞受賞。他の脚本担当作品として『嗚呼!おんなたち猥歌』(1981・神代辰巳監督)、『遠雷』(1981・根岸吉太郎監督)、『探偵物語』(1983・根岸吉太郎監督)など多数。また監督・脚本作品として『身も心も』(1997)、『この国の空』(2015)、『火口のふたり』(2019・キネマ旬報ベストテン・日本映画第1位)がある。
●森達也/1956年、広島県出身。立教大学在学中に映画サークルに所属し、テレビ番組制作会社を経てフリーに。地下鉄サリン事件と他のオウム信者たちを描いた『A』(1998)は、ベルリン国際映画祭など多数の海外映画祭でも上映され世界的に大きな話題となった。続く『A2』(2001)で山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞・市民賞を受賞。は東日本大震災後の被災地で撮影された『311』(2011)を綿井健陽、松林要樹、安岡卓治と共同監督。2016年にはゴーストライター騒動をテーマとする映画『Fake』を発表した。最新作は『新聞記者』(2019・キネマ旬報ベストテン・文化映画第1位)。
●白石和彌/1974年、北海道出身。中村幻児監督主催の映像塾に参加。以降、若松孝二監督に師事し、『明日なき街角』(1997)、『完全なる飼育 赤い殺意』(2004)、『17歳の風景 少年は何を見たのか』(2005)などの若松作品で助監督を務める。2010年『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で長編デビュー。2013年、ノンフィクションベストセラーを原作とした映画『凶悪』が、第38回報知映画賞監督賞、第37回日本アカデミー賞優秀監督賞・脚本賞などを受賞。その他の主な監督作品に、『日本で一番悪い奴ら』(2016)、『牝猫たち』(2017)、『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017)、『サニー/32』(2018)、『孤狼の血』(2018)、『止められるか、俺たちを』(2018)、『麻雀放浪記2020』(2019)、『凪待ち』(2019)など。
●井上淳一/1965年、愛知県出身。大学入学と同時に若松孝二監督に師事し、若松プロ作品に助監督として参加。1990年、『パンツの穴・ムケそでムケないイチゴたち』で監督デビュー。その後、荒井晴彦氏に師事。脚本家として『くノ一忍法帖・柳生外伝』(1998・小沢仁志監督)『アジアの純真』(2011・片嶋一貴監督)『あいときぼうのまち』(2014・菅乃廣監督)などの脚本を執筆。『戦争と一人の女』(2013)で監督再デビュー。慶州国際映画祭、トリノ国際映画祭ほか、数々の海外映画祭に招待される。ドキュメンタリー『大地を受け継ぐ』(2016)を監督後、白石和彌監督の『止められるか、俺たちを』で脚本を執筆。昨年、監督作『誰がために憲法はある』を発表。