『熱海殺人事件』は、劇作家で演出家の故・つかこうへい氏の代表作。1973年に発表されて以降、日本中の演劇人が憧れ挑んできた演目だ。主人公の木村伝兵衛部長刑事役は、風間杜夫(71才)や阿部寛(56才)など、名だたる俳優陣がこれまでに演じ、つか氏の死後もその意志を継ぐ者たちが紀伊國屋ホールで上演を続けてきた。紀伊国屋ホールは、今年の2月に耐震補強のため改装工事を行う。その改装前の最終公演となる舞台の主人公を味方が演じられるのは、演劇界においては大変な名誉であり、彼が演劇界の未来を担う役者である証明と言えるだろう。
物語のあらすじはこうだ。舞台は東京警視庁のとある捜査室。傲慢な木村伝兵衛部長刑事(味方)とその愛人である婦人警官・水野のもとに、地方から新任刑事・熊田が着任する。そこで、幼馴染の恋人を熱海で絞殺した大山金太郎が登場し、事件の取り調べを木村が担当する。メインの役はこの4人である。しかも本公演は、すべての役が“ダブルキャスト”。その上、各公演ごとに配役が変わるのだから一筋縄ではいかない。
筆者が観劇したのは、木村伝兵衛を味方が演じ、水野役に愛原実花(35才)、熊田役にNON STYLEの石田明(40才)、犯人の大山役に池岡亮介(27才)が配された回。上演時間の約2時間、この4人は出ずっぱりだ。その中でも特に主役は、セリフを発していない時間がないのではないかと思えるほどの膨大な量のセリフがあり、味方はオープニングからフルスロットル。最後列の観客までをも射抜くような野太い声、見事な体幹から繰り出される美しい身のこなし、何よりも圧倒的な熱量で座長としてほかのキャストを率いていた。
かといって、味方の演技はワンマンなものでは決してない。舞台上ではタイムリーなネタを絡めたアドリブが飛び交うし、何せ公演ごとにキャストの組み合わせが変わるのだ。これを実現できるのは、味方が高い柔軟性を持っている証だろう。それでいて、胆大心小な演技で観客から笑い声や拍手を引き出す。まるで劇場空間のすべてを木村伝兵衛らしく“支配”しているかのようだった。
紀伊國屋ホール改修前最後の公演で舞台に立つことについて、「あの場に染み付いた数多くの作品、役者の血と汗に恥じぬよう僕らの集大成をお届けします」と話した味方。その言葉に嘘のない名演を刻んだ。既に多くの業界人が彼に注目しているだけに、味方が今年ブレイクする俳優になることは間違いないだろう。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。