山平和彦のメジャーデビューシングル『放送禁止歌』は1972年発売
放送禁止歌手といわれた山平和彦
そのものずばり『放送禁止歌』という歌で1972年にメジャーデビューを果たした山平和彦さん(享年52)は、東京での初リサイタルで、アルバムが発売禁止になったと知らされた。サウンド・パフォーマンスを行うアーティストで“放送禁止歌”に詳しい、とうじ魔とうじさんは、そのとき客席にいたという。
「『放送禁止歌』というタイトルが、民放連を敵に回したからだということは想像できます。さらに、アルバム収録の『月経』『大島節』が“わいせつ”を理由に引っかかり、発売禁止に。彼が問題の3曲を涙を流しながら歌ったのは衝撃的でした。感動すると同時に、この宣告は歌手の人生を潰すようなものだと感じたんです」(とうじ魔さん)
『放送禁止歌』は、歌詞を4文字熟語で構成したもの。言葉遊び的要素もあるが、特段問題になる歌詞があるとは思えない。自分のラジオ番組では、タイトルをあえて言わず、流していたという。
前出の森さんは、自分が出演するラジオ番組でこの歌を流そうとしたところ、系列局から『放送禁止歌』を流すなら、オンエアできないと、直前に“待った”がかかった。
「ディレクターが交渉を重ねた結果、歌は流さないが、歌詞をアナウンサーが朗読するならOKとなりました。ならばメロディーがいけないということ? わけがわからない。要するにほとんどの人が、規制することの意味や本質を理解しないまま、無自覚に横並びで規制していた。つまり逃避であり保身。これが、放送禁止という自主規制の実態です」
※女性セブン2021年5月20・27日号