北の富士(時事通信フォト)
突然の訃報に北の富士は男泣きしたあと、報道陣に〈オレ、これからどうしていいのかわからないんだよ〉(『大相撲』、1997年3月号)と答えている。
前出・杉山氏が言う。
「北玉時代が続けば、輪島が横綱になるのも、北の湖の出世も遅くなったに違いない。大相撲の歴史を変えるほど、玉の海の存在は大きかった」
北の富士は自身のコラム(中日スポーツ、2020年6月4日付)で〈もし彼が生きていたら、おそらく大横綱になっていたでしょう。そして私ももう少し頑張れたかもしれません〉と綴っている。
玉の海の急死後、北の富士は翌場所こそ優勝したものの、その後はケガで途中休場を繰り返し、1974年7月場所で引退した。
※週刊ポスト2021年5月21日号