近江社長は、「ぼくはジャーナリストというよりも、ローカリスト」と言う。大学を卒業した後、スズキ自動車に入り営業マンとして働いた。その後、地元の宮城で、マリンスポーツの会社を立て直し、震災2年前に石巻日日新聞社の社長に就任した。その間、サッカーのコバルトーレ女川の社長を務めている。地元への貢献を、人生の活動テーマにしている。
近江社長の話を聞いていると、レジリエンス、回復する力の源泉には、深い郷土愛があるのはまちがいない。そして、地元の新聞社としての役割を精一杯、誠実に果たそうとしたことがまわりの人たちにも伝播して、負けじ魂に火をつけていったように思う。
地域の歴史を語り継ぐことの意味
地元の水害の歴史を学ぶことが、災害に遭ったときに役立った子どもたちもいる。
長野県を流れる千曲川は、江戸時代から水害を繰り返してきた。1742年の「戌(いぬ)の満水」は、死者2800人を出したといわれる。
2019年の台風19号による豪雨では、千曲川の堤防が決壊し、災害関連死を含めて15人の犠牲者を出した。北陸新幹線の車両基地が浸水した映像を覚えている人も多いだろう。
千曲川流域の長野市長沼地区では代々、水害の歴史を語り継いできた。このとき、高校生だった子どもたちも、小学6年のとき、地域の人から水害の話を聞き、「桜づつみ」という劇を作った。歌も作り、その歌詞を記した「歌碑」を立てた。
〈おじいさんに聞いたんだ 遠い日の話 何もかもが流された悲しい時代のことを 自然の猛威に人はなす術もなく でも立ち上がり 一歩ずつ歩んできた〉
このときの6年生は全員被災した。学びはどんなふうに役立ったのだろうか。
昨年1月に放送された「クローズアップ現代+」(NHK)では、高校生になった彼らが、災害とどう向き合っているのかをカメラで追いかけた。彼らは、お互いに無事を確認し合い、自分たちが作った歌碑が流されなかったことを喜び合った。
しかし、家を失った子もいた。歌詞のように「でも立ち上がり」という気持ちにはなれなかったという。それでも、地域の人たちと同じ歴史を背負うことで、逆境にも負けない心の芯が定まった。
「この歌の途中に私たちは今いると思う。歌の途中にいてまだ立ち上がるところ。歩こうとしているところにいると思う。若者がすごい頑張らなきゃというのを託された感じ」
そう語る高校生の笑顔を、とても頼もしく思った。