臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になったニュースや著名人をピックアップ。心理士の視点から、今起きている出来事の背景や人々の心理状態を分析する。今回は、コロナ禍でも東京五輪開催を積極的に押し進めてきた、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長について。
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「ついにここまできた」、「とても難しい決断を迫られてきた日本が、輝く時でもある」とは、7月20日に開かれたIOC総会でのバッハ会長の挨拶の言葉だ。とうとう東京五輪・パラリンピック開催が現実になる。
バッハ会長が使った“ついに”という言葉にはワクワクした高揚感や期待感が含まれているが、残念ながらそんな感覚にはなれない。“とうとう”というか“ようやく”というか、開催されたのだから楽しむか、応援するかという感じだ。
これまで、バッハ会長やIOCなどの対応に対して、「日本の状況や世論を考慮して欲しい」、「察して欲しい」と願っていた。「推察力」が足りないと思っていたのだ。推察力はその事情や状況、感情を推し量り、思い巡らす力である。だが、どうやら察するべきはこちら側だったのかもしれない。日本人は“察し”のコミュニケーションができ、相手を不快にさせまいと配慮できるのだから。
そんな思いになったのは、バッハ会長が五輪開催への疑念を「胸にとどめていた」と発言したことにある。延期を決断してから、「毎日疑問を持っていた。眠れない夜もあった」と話したバッハ会長。それでも疑念を口にしなかったのは、発言すれば「我々の疑問はその通りになってしまったかもしれない。五輪はバラバラになっていた可能性がある」と思っていたからだと述べた。発言してしまえば、選手や各国の五輪関係者らに対し開催への自信が揺らぐと考えたようだ。