組織運営や企業経営の場合で考えれば確かにそうかもしれない。リーダーたるトップが不安を見せてしまえば、組織は揺らぎ進むべき方向性が合っているのか懐疑的になる者も出てくる。現場も混乱するだろう。トップの決断は業績や利益に影響し、何かあれば巻き込まれるのは社員やそのステークホルダーだ。
だが、今回の場合で考えた時、その結果はどうだったか。日本や日本人はいわば東京五輪のステークホルダーに当たる。誰もがそう感じているからこそ、世論は開催に批判的だった。自分たちが直接的、間接的に関わっているのに、「どんな犠牲を払っても前進すると解釈もされた」と自らが述べているように、バッハ会長らは強硬な言動を繰り返してきた。組織内部や関係者はその言動を信じることで突き進めるが、ステークホルダーであるこちらは不安と心配が大きくなっただけだ。おまけに政府や日本の組織委員会も情報をきちんと公表しないため、不信感ばかりが募っていった。
もしバッハ会長がどこかのタイミングで疑念を口にしていたら、日本の世論は変わっただろうか。そこは正直分からない。だが、IOCに対する見方は変わっていたと思う。東京五輪最大のスポンサーの1社であるトヨタが、テレビCMを見送るに当たって「いろいろなことが理解されない五輪になりつつある」と発表することもなかっただろう。もっと率直に胸のうちを伝え、日本人に協力を求めていれば、少なくとも今よりは、開催に対する理解は得られていたのではないだろうか。
バッハ会長は、「五輪開催に向けて日本国民が恐れる必要はない」、「聖火が灯れば機運が上がる」と言うが、感染者は増えているし、外部との接触を遮断する「バブル方式」の穴も指摘されている。空港と各地を結ぶターミナル駅や選手村周辺では外国人の姿も目立ち始めている。それでも我々は、「日本人が達成したこの偉業を目の当たりにするだろう」というバッハ会長の言葉を実現するべく、五輪という“泥船”に乗り盛り上げ続けるしかない。