57年ぶりの東京開催となった五輪。続々とメダリストが誕生しているが、過去の五輪で記憶に刻まれたあのメダリストは、その後どんな人生を送っているのか──。(文中敬称略)
秋田商業時代にレスリングを始めた太田章は、早稲田大学在学中にモスクワ五輪の代表に選ばれるも日本のボイコットで出場できず、捲土重来を期した1984年のロス五輪で銀メダル(90kg級)を獲得。1988年のソウル五輪では肋骨を折りながらの銀メダルが涙を誘った。
その後の1992年バルセロナ五輪にも出場し、38歳まで戦い続けたタフなメダリストとして強い印象を残した。
だが、現役にこだわったのには意外な事情があった。
「元々ソウル五輪で引退するつもりだったけど銀を取ったおかげで4年後のバルセロナ五輪までの期間、強化指定選手として勤め先である早稲田大学の給料にプラスして30万円もらえることになった。お金がなかった私は『引退する』とはとうてい口に出せず長いこと現役でいました」
一時はプロレス転身が取り沙汰されたが、本人にその気はなかったようだ。
「バルセロナを目指していた頃に早大レスリング部で指導した石澤常光(ケンドー・カシン)がプロレスラーになった関係で僕のプロレス入りが噂されたようだけど、自分より弱い相手に負けてあげるプロレスがあまり好きじゃなかった。
勝負事をショーとして楽しむことは、私には向いていなかった。就職した早稲田大学は私の誇りだし、定年まで教授を続けるつもりでいますよ」
※週刊ポスト2021年8月13日号