新宿西口広場で開かれたベ平連による反戦フォーク集会(1969年、時事通信フォト)
物理的排除は「誰にもやさしくない都市」に向かう
歌舞伎町商店街振興組合が説明するように、“トー横キッズ”問題は「居場所」をどう考えるかという点がきわめて重要だろう。そのためにはパトロールや取り締まりの強化だけでは根本的な問題の解決には至らないはずだ。当然、鳥よけシートのようなオブジェを設置して物理的に排除することも決して効果的とは言えず、彼らの「居場所」をさらに奪うことになりかねない。
都市空間において特定の人々を排除するためにオブジェを設置する、いわゆる“排除アート”の問題に詳しい建築史家の五十嵐太郎氏は、物理的に「居場所」を奪うことは「公共的な空間を衰退させる」と指摘する。
「コロナ禍による時短や酒類の提供禁止で行き場を失った若者が路上でたむろするのは、感染拡大防止という点からは顰蹙を買う行為ですが、見方を変えれば、居場所を奪われた若者が都市空間をとり返すためのささやかな抵抗なのかもしれません。
しかし、排除的なオブジェをおくことで、物理的に“トー横キッズ”を阻止するのは、増殖する排除アートや排除ベンチと同様、公共的な空間を衰退させるものだと考えられます。トゲ状のシートの見た目があまりに悪いからと言って、モスキート音などの見えない装置によって若者を排除することも、同様でしょう」(五十嵐太郎氏)
東京・新宿といえばかつて“若者の街”と呼ばれ、1960年代には文化の発信拠点としても知られていた場所である。しかしながらまさしく排除の論理によって街の文化的な求心力は衰退していった。こうした歴史的な背景を踏まえつつ、五十嵐氏は管理が先行することで「誰にもやさしくない都市」に行き着く可能性についても触れる。
「かつて1969年、新宿西口広場が若者の集会の場となったことがありましたが、結局、広場は“通路”とされ、排除されました。
管理が優先され、近代的な社会がつくりあげた公共的な空間をなくしていくと、最終的には特定の誰かの排除ではなく、誰にもやさしくない都市になっていきます。
対策としては、騒ぐこと、ゴミが問題であるならば、一切の対話なしに物理的に遮断するのではなく、粘り強く、この空間の使い方を話しあいでルールを決めていくのが望ましいでしょう」(同前)