ジョニー・デップ(左)とも共演。全国公開中の『MINAMATAーミナマター』(C)Larry Horricks
日本のモーガン・フリーマン
國村は役作りについて尋ねられても「何もやっていない」と答えるという。「役を作るというより、むしろ“役を感じる”ことが大事」としている。
映画『愛を乞う人』(1998年)で國村が見せた演技に惹かれて舞台『混じりあうこと、消えること』(2008年)の主演をオファーした、演出家で俳優の白井晃が語る。
「國村さんは技術的なことだけでなく、その存在感が独特です。芝居のアプローチでも、その台詞を言うために自分がどういう風に存在するかということから演技の構築をされていく方だと認識しています。何もない空間でも、國村さんが居れば、そこがレストランにも公園にもなり、情景が浮かんでくるのです」
白井が演出した舞台『ロンドン版 ショーシャンクの空に』(2014年)にも、國村は出演した。稽古中には、「自分が演じるキャラクターの履歴書をね、自分の中で組み立ててみるんだ」と國村が明かしたことがある。その履歴書を、稽古の中で演出家などの意見もふまえて組み立てていくからこそ、フィクションの中で“本当に存在する”ことができると白井は語る。
「映画でモーガン・フリーマンが演じたレッド役を國村さんに託しましたが、モーガン・フリーマンのような存在感を出せる人はこの国の役者では國村さん以外に思いつかなかった。劇中で印象的だったのが、周囲に囚人たちがいる中で、國村さんは独特の空気を出すために、逆に余計なことをしなかった。飾り立てて目立つやり方もありますが、過剰なものを削ぎ落とすことで人の目を自分に引きつける。そうしたアプローチに、削ぎ落としの美学を感じました」
居るだけで「空気」を操り、作品に奥行きが出る。そんな國村に、お笑い芸人の板尾創路は初の監督作品となる『板尾創路の脱獄王』(2010年)への出演を依頼した。板尾はその理由をこう答えた。
「ずばり説得力が半端なくあり、國村さんがその世界に居ることで、作品が高級品になるからです。時間も予算も低く、私の監督としての未熟さもすべて國村隼という役者に埋めていただきました。役者として品格があり、声にも高級感があり、耳通りの良い台詞が観ている人を作品の中に引きずり込んでしまうのです」