国際日本文化研究センター所長・井上章一氏
〈美人が全面で勝利する〉
1980年代に有名なフェミニストの上野千鶴子さんと対談した際、「男が女に『キレイだな』と口外すると、家父長的な権力の発動になる。そこは自覚しておくべきだ」と釘を刺されました。
女性だって「あのオッサン、ハゲで嫌だ」と言うじゃないかと反論したかったのですが、当時は男性のほうが強い権力を持っていたので、ここは譲ってもいいかと堪えました。
そしてたどり着いたのが今回の立谷市長の「美人発言」です。ガラスの天井を破って連合のトップになった芳野会長に対し、全国市長会長が公の場で口にした内容として批判は免れませんが、個人的には割り切れない思いも残ります。
上野さんによれば、男同士で「あの人、美人だよね」と会話すると、家父長的な権力が発動します。でもオフィスで女性社員から、「〇〇さんはキレイだよね」と語りかけられたら、「僕もそう思う」と答えてはいけないのでしょうか。
「職場でそんなことを言ってはならない」と杓子定規に注意したら、それ自体が抑圧的な権力やハラスメントになりかねません。
何より、そんな会話すらできない職場で働くのは嫌ですよ。外見上の欠点をあげつらうことは決して許されない行為ですが、少なくとも美しい人を見て、「あの女性はキレイだ」と口外することは許されてもよいと考えます。
女か男かを問わず、ルックスが良い人がいれば、そうでない人もいます。この現実は変えようがありません。社会を改良して制度上の平等を勝ち取ることはある程度できますが、全員が等しく外見的に魅力的になることは不可能です。
この矛盾を無視して、社会が「あらゆる平等」を求めたことに、今回の問題の本質があるのではないでしょうか。
現実を見れば、女性のルックスがビジネスや実業の世界で、何かしらの効果を持つことは確かです。すべてではないにせよ、見た目が魅力的な女性の営業成績が良い傾向にあるとされている。
そもそも「あの人は可愛い」「あの人はカッコいい」という思いが内心から湧きあがることは止められません。誰かと言葉を交わし、共感を得たいという思いも自然なことです。
それを口にしてよいかどうかは、その都度判断する必要があるはずですが、容姿にかかわる発言すべてをタブー視してしまう風潮には疑問を感じざるをえないのです。