放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。日記ブームが来ているという高田氏が、17歳の立川談志による日記についてつづる。
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『藝人春秋Diary』(水道橋博士)の推薦の帯文を書いてからというもの私の中では日記ブームが来ている。先週この連載で和田誠の手書きの日記本(17歳から19歳)『だいありぃ』が素晴しいと書いた。そこへ慌てたように届いた本には“談志 17歳”の文字が。衝撃である。「17歳」と言って通るのは南沙織か森高千里である。
和田誠に17歳の時があったように談志にも17歳の時があったのか。小さんに16歳で入門して前座2年目の修業時代である。本名が松岡克由だから師匠から「小よし」と付けられた。18歳で二ツ目となり「小ゑん」。この頃からテレビにも出始め、私は『歌まね読本』の小ゑんちゃんをよく覚えている。私が知っているのは小ゑんからだ。27歳で真打昇進「立川談志」を名乗る。それを見ていた15歳の私も嬉しかった。
この本は私が知らない時代、小よしの談志だ。あまりにもピュアすぎて、ギュッと抱きしめてあげたくなる。なにやら同級生の松岡クンの青き人生に伴走しているようだ。談志の長男・慎太郎のあとがきによると、この17歳の時から最晩年まで、キッチリ毎日のように日記はつけていたというから驚きだ。入退院を繰り返していた2010年頃「これはいずれ本になるだろうから」と70冊あまりの日記帳を編集者に託したと言う。なんでオレに託さなかったのだろう。
『談志の日記 1953 17歳の青春』(dZERO)。自分が好きな人の日記をのぞくというのは本当にドキドキする。30代40代、私と会った時の日記も見てみたいものだ。17歳の日記は格別に胸しめつけられる。
「人形町で一〇〇円小さんに小遣をもらう。しかしその場でなくす。(中略)その場で探すのも失礼だからよした」。クゥ~ッ泣けてくるネ。この気のまわし方が切ない。私なぞ17歳の時、みゆき族だエレキだと遊びまわっていた。
「僕には夢を追うのみで、若さを楽しむ資格がないのであろうか。悲しい。その原因は落語なのだ。僕の宿命なのかも知れない」