帽子が落ちるのは力が入りすぎているときだという(撮影/藤岡雅樹)
チェンジアップが「止まって、落ちる」
そして、大阪の最大のライバルである履正社が相手となった準決勝で、先発のマウンドを任されたのも前田だった。近畿大会進出、センバツ出場に向けて絶対に負けられない試合の大役は、前日に伝えられたという。
左打者がズラリと並ぶ履正社打線を9回3失点で完投した前田の試合後のコメントは、常に冷静で聡明な一面を窺わせた。
「この1週間、対左打者対策として、ブルペンで左打席に入ってもらって、インコースの厳しいところにストレートを投げる練習をしてきました。それは西谷(浩一)先生の指示だったんですけど、それを聞いて、おそらく自分が履正社戦に投げるのかなと思って準備してきました。昨日の夜はアドレナリンが出ていたんですけど、試合となればうまく気を落として(落ち着いて)緊張することはなかった。普通に自分のピッチングをしたら抑えられると思っていた」
試合後、前田の広いおでこには太い血管が浮き出ていた。平静を装っていても、履正社を相手にしてつい力が入ったのだろうか。
「いえ、これ(血管が浮き出ているの)はいつもです(笑)」
それにしても眼光が鋭く、目力に圧倒された。
「それは言われますね。マウンドでも弱気なところは見せたくない。だから自然とこういう目になっているのかなと思います」
前田は1年夏からベンチ入りすることを目指して大阪桐蔭に入学した。西谷監督らの期待は大きかったが、夏の甲子園に出場した前チームでのベンチ入りはさすがに果たせなかった。しかし、甲子園に臨んだ3年生とシート打撃で対戦する中で経験を積み、彼らを抑えることで自信をつけていく。
圧巻のピッチングは、来春のセンバツに向けた参考大会となる秋季近畿大会でも続いた。3週にわたって開催された同大会に、私は毎週末、会場となる滋賀の皇子山球場に足を運んだ。前田は7回コールド勝ちした初戦の塔南(京都)に先発して零封し、準々決勝・東洋大姫路(兵庫)戦では7回からマウンドに上がり、打たれたヒットはわずか1本でセンバツ切符をほぼ手中にした。準決勝の天理(奈良)戦では、勝利を決定づける一発も打者として放ち、あふれる野球センスを披露していた。
自己最速は145キロ。変化球はスライダーにカーブ、チェンジアップにツーシーム。とりわけ捕手の松尾汐恩が「ストレートの軌道から、ボールが止まる」と表現するチェンジアップが前田の最大の武器だろう。左指でOKに近い形を作ってボールを握り、「小指で引っかけるように投げる」(本人談)ことで、ボールは突然失速して、斜め左方向に落ちていく。
高校野球レベルではそう簡単にはじき返せないだろうが、すべての球種でストライクを取ることができ、すべてのボールがウイニングショットになるのも強みだ。
優勝を手にした(撮影/藤岡雅樹)
西谷監督からの厚い信頼
大阪桐蔭の2年生には、中学硬式野球の代表歴を持つような左右の好投手が複数いる。その全員が、どの強豪校に行ってもエースを争えるような逸材であり、既に甲子園のマウンドを経験した投手もいる。だが、西谷監督は、大阪大会、秋季大会を通じて、とりわけ重要な試合で下級生の前田に先発マウンドを託してきた。
「まだ1年生なので、細かいことは言わず、のびのびやってくれたらいい。走者を背負ってからの牽制や、フィールディングといったピッチング以外の部分も1年生の秋としてはやれていると思います。器用にいろんなボールを放りますが、器用貧乏にならないようにだけは注意したいと思っています」(西谷監督)
センバツ行きを当確とし、同校として初めての明治神宮大会優勝を目指す過程において、西谷監督はこんな言葉を口にするようになっていった。
「大阪大会、近畿大会と、うまく抑えられてきたので、相手に(先制)点を取られた時にどんなピッチングをするかを見てみたかった」(近畿大会準決勝・天理戦後のコメント)
つまり、公式戦で前田が連打を浴びるなどして降板したケースがこれまで一度もない。劣勢に立たされた時にどんなピッチングをするのか──。巨大戦力の大阪桐蔭だからこその贅沢な悩みではあるのだが、甲子園通算56勝の西谷監督にここまで言わしめるほど、前田に対する信頼は厚く、また前田がいかに高いレベルで安定して相手打線を封じ、大阪桐蔭を牽引してきたかがわかる。
将来が楽しみな前田悠伍(撮影/藤岡雅樹)
明治神宮大会の初戦・敦賀気比(福井)戦ではリリーフに回り、3回までに4失点した先輩を好リリーフして8対4の勝利に貢献。準決勝の九州国際大付戦では、前述の佐倉に先制の本塁打を浴びるも、その後に立ち直って7回コールドで勝利した。佐倉の一発は、前田が高校入学後、初めての被本塁打となった。
そして、決勝・広陵戦における大阪桐蔭は、序盤の7点リードをしながら、広陵の猛追を受け、総力戦に。西谷監督が5人目の投手としてマウンドに送り出したのが、前田であり、前田は1失点したものの胴上げ投手となった。
前田は秋の戦いをこう総括した。
「真っ直ぐで押して、変化球で相手を打ち取るのが自分のスタイル。真っ直ぐを捉えられて、変化球でかわすピッチングになってしまう場面もあった。まだまだ力不足を感じます。冬の練習でレベルアップしたい」
一冬を越え、来春を迎えれば前田はおそらく甲子園のマウンドに立つ。また一段と進化した姿で聖地に現れるはずだ。