勘違いしがちだが幸せは厄介なもの
やがて遺体の身元は千葉市在住の〈松波郁子〉と判明。元大家らによれば5年前に夫婦で引っ越してきたが、その2年後に夫が亡くなったのだという。
一方の東山事件に関しても、三ツ矢は出窓に置かれた花のことばかりを近所で聞いて回り、その意図が読めないだけに、岳斗のイライラは頂点に。そして三ツ矢がずっとこだわり続けていたフラワーアレンジメントにまつわる“違和感”の正体が明らかになり、それを岳斗も共有するあたりから、物語は里沙や郁子の独白も交えた内面のミステリーに変貌を遂げるのだった。
郊外の一軒家で夫や娘に囲まれるオシャレで理想の暮らし。その夫が死んでも慰めてくれる友達がいて、都内の実家に帰れば両親が好物を揃えて迎えてくれる。SNSにアップされる里沙の日常は、幸せな暮らしを象徴するかのよう。
「幸せって単体では感じられず、常に比較対象を必要とするのが厄介ですよね。それも以前は過去の自分や身近な人間との相対評価で済んでいたのが、今はSNS上に無数の幸せがありますから。私たちは望みがかなうことが幸せだと勘違いしがちですが、欲しいものが手に入ったとしても、また別のものが欲しくなるだけなんですよね。本当の幸せとは何かで満たされることではないと思うんです」
本作では“幸せ”を追い求めるさまざまな人たちの人間模様が描かれるが、まさき氏は事件の波紋や余波にこそ、光を当てる作家でもあった。
「そう、私が書きたいのはそこなんです。例えば事実関係をまとめた新聞のベタ記事の向こう側に、どんな人のどんな人生があって、その人の周囲にどんな影響や変化があったのかを、その波紋や余波が及ぶギリギリまで書きたい。
特に波の端っこの方になると誰も見ようとしないけれど、何か今までの日常と違うことが起きていたり、誰かがそのせいで亡くなっていたりすることもあるかもしれないと思うんですね。例えば交通事故なら、被害者と加害者と、各々の家族や友人や知人がいて、本人と面識はなくてもその場所をよく知っている人とか、波紋が無限に広がる感じを何とか小説化したくって」