現場では柳楽の“師”として演技を引っ張った(『浅草キッド』Netflixにて全世界独占配信中)
自分で自分を“演出”できる
全国ネットの連続ドラマに初出演した『救命病棟24時』(2005年)、準主役に抜擢された『ハケンの品格』(2007年)など、俳優・大泉洋の名前が全国区になったのは2000年代以降のことだ。活動拠点を東京に移すまでは、出身地の北海道でローカルタレントとして活躍していた。当時から所属する演劇ユニット“TEAM NACS”には大泉のほか、安田顕(48)や戸次重幸(48)など全国区の人気となった俳優たちが集う。
大泉がレギュラー出演した深夜番組『水曜どうでしょう』(1996~2002年、北海道テレビ)は地方局の枠を超え、全国的な人気番組に成長した。同番組でディレクターを務めた藤村忠寿(56)は、バラエティタレント・大泉洋についてこう語る。
「たまたま僕の担当番組に出演することになった、演劇をやってる北海道の私大生。それが大泉洋だったんだけど、不思議なことにあの男は最初から『テレビってこうあるべき』という根本の感覚を持っていた。おじいちゃんと一緒にテレビを見て育ったテレビっ子で、『地方局にしかできない、日本のテレビの一番面白いところをやる』という思いを、僕と同じように持っていたんだろうね」
テレビ初出演時から大泉は、「反旗を翻す」姿勢で臨んだという。
「彼は地方局のディレクターを信用してなかったんだよね。こいつらはキー局の優秀なディレクターとは違うと、あの男は瞬時に見抜いた(笑)。その時に彼は自分で演出を始めたわけだよ。
ススキノのスナックのレポートをする時、わざと『初レポートでドギマギする男』を演じたんだよね。普通なら慣れた風に『はいこちら、ススキノの○○というお店に来ています』とするところを、彼は『えっと、この、えっと、あ、あ、すんません、お、お話、うかがいたい、うかがっていいですか』って演じた。『これだから地方局は……』という自虐の面白みや視聴者マインドも計算していたんだろうね。ここから始めないと東京には勝てないぞっていうのが本能的にあった」(同前)
『水曜どうでしょう』の名物企画である「サイコロの旅」では、予算がないために仕込みができない“全部ガチ”のなかで本領を発揮した。
「出された料理を一口食べて『……うん、イマイチ』とやれる。東京のタレントはやれない。それで嫌われないのは彼だからこその芸当です。もちろん『美味しい前提でお願いします』と言われればできるけど、『水曜どうでしょう』は逆張りだから、全てガチ。そんな大泉洋だから、紅白の司会抜擢も納得できる。稀有な存在です」(同前)