20周年を迎えた際に氷川は「母が『好きなように生きなさい』って言ってくれた」と語っている
高校3年生のとき、氷川はNHKの『BS歌謡塾 あなたが一番』に参加し、九州地区で準優勝する。このときに審査員を務めていた作曲家の水森英夫氏に才能を認められ、高校卒業後に上京することになる。目指すのはもちろん、歌手デビューだ。だが、現実はそう甘くはなかった。週に1回、2時間の発声練習を受けるほかはアルバイトに明け暮れる日々で、デビューの予定はまったく見えなかった。
途方に暮れる氷川の支えになったのは遠く福岡で暮らす母親だった。電話では「大丈夫だよ」「つらかったらいつでも帰ってきていいんだよ」と愛息に寄り添い続けた。時には、月の電話代が4万円を超えたこともあるという。ようやくデビューできたのは上京から3年経ってから。その後も演歌歌手として着実にキャリアを積み、氷川は10代の頃の誓いを守った。
「デビューから3年後に、ご両親に新築マンションをプレゼントしたんです。福岡市の高級住宅地でかなり高額だったはずですが、現金一括で買ったと聞きました」(前出・氷川の地元の知人)
20周年を迎え、“ありのまま”の自分を出し始めた頃のインタビューで、氷川はこう語っている。
「母が『好きなように生きなさい』って言ってくれたんです。『自分の人生なんだから、あなたの好きなように生きなきゃ』って」
家族との深い絆があったからこそ、氷川は自分らしく生きられるようになったのかもしれない。
※女性セブン2022年2月10日号