「友達と海に遊びに行ったとき、波打ち際で転んでしまったんです。転び方が悪かったんでしょうね、首の骨を折って動けなくなって。そのまま波にさらわれてぷかぷか浮いてました。水球やっていて泳ぎは得意だから、友だちからは最初、冗談だろうと思われてたんです。何分か経って、ようやくおかしいぞって気づかれて病院に運ばれて・・・・・・」
医師から「歩けないです」と宣告されたときも、
「『ああ、そうか・・・・・。じゃあ、できることをやるしかないな』という感じでした。脊髄損傷専門の病院だったので、同じ障がいの人たちがたくさんいて。『どこから来たの?』『一緒に筋トレしよう』と誘われて、リハビリもすぐに始まったのでへこんでいる暇がなかったんです」
10代にしてその達観した精神力はどうしたら持てるというのだろう。もちろん障がいを負っても人生が終わったわけではない。リハビリセンターでは職業訓練のほか、スポーツのあっせんなどQOL向上のための指導や提案が行われる。長谷川選手が車いすラグビーと出会ったのも、そのひとつだった。
「リハビリセンターの体育館で、自由参加で車いすラグビーの練習をしている人たちがいたんですね。彼らに誘われて見学に行ったのがきっかけです。最初は音と衝撃にびっくりして『自分にできるのかな』と思ったんですが、いざ体験で乗ってみると、ぶつかった瞬間に、痛さよりも、すごく楽しくて。
車いすのツインバスケっていう四肢マヒの人がやる種目があるんですが、それはパラスポーツにはなっていないので、上を目指せない。どうせやるなら、車いすラグビーでパラリンピックを目指したいなって思ったんです。
水泳訓練もやったんですが、やっぱりガツガツ泳いでボールを投げてた身からすると物足りなくて。あとは自分の状態だと、パラリンピックのクラス分けで、自分よりずっと状態がいい人と戦わなくちゃいけない。勝てないってわかっててやるのは辛くて。
ネガティブな諦めグセがあるから、ポジティブに言えるんじゃないですかね、ラグビーは目標がちゃんとあったから続けられたかなと思います」