掲載誌が発売されてから約8か月後、全国のメディアから、当事者たちへの後追い取材が始まった。しかし、その報道内容に著者は失望する。
「物足りなさを感じたんです。上辺の事実を並べただけで終わっている。彼女たちは自主的に『接待』に応じたのではなく、団長や団幹部が行かせた。その点を曖昧にし、行かせたのは『仕方がなかった』的な論調に感じました。私と同じ気持ちの当事者もいましたし、これは的確にまとめなければならないと」
最初に事実を掘り起こした書き手としての矜持が、新たな使命感につながった。
目の前で「悪かった」と言って欲しかった
約600人の開拓団の命を救うため、人身御供となった女性たち。死ぬ思いで満州から引き揚げたが、日本に帰国後も「仕打ち」は続いた。故郷では周囲からお荷物扱いされ、職探しは難航し、結婚の話になると〈処女をもらうでの〉と侮辱の言葉を浴びせられた。
「今でもおばあさんは自分を『汚いもの』とみてしまうところがあります。それは違うと知りつつ、たとえば自分が同じ被害に遭ったら、いくら周りが『そんなことない』と声を掛けてくれても、心に消えないものってあると思うんです」
接待に行かせた団幹部側の遺族会から、女性たちへの直接的な謝罪はなかった。あるのはメディアを前にした公式謝罪だけだ。
「社会に対する謝罪も必要だとは思いますが、本人に対する態度が異なっていたら、謝られた気がしないですよね。彼女たちが生きていた時に『苦労をかけたね』とか一言でもあれば、彼女たちもこんなにもやもやしていなかったと思います。目の前で『悪かった』と言って欲しかった」
本書を執筆する上で、とりわけ著者が悩んだのが、玲子さんたちが男性から「減るもんじゃないから」という言葉を浴びせられた体験の扱い方だ。
「私にも同じ体験がありました。でも玲子さんは90代。生まれも育ちも、教育も全然違うのに、同じところで憤りを感じていた。その気持ちを正直に書いたのですが、男性目線から『必要ないんじゃないか』という意見が結構ありました」